因果関係と相関関係

日本の夏の特徴をあげよ、と言われたら

  蒸し暑い、セミが鳴く、ビールが売れる、電力の消費量が上がる、海水浴客が増える、スイカが売れる...

この中から「セミが鳴く」と「電力の消費量が上がる」を取り出してみる。たしかにミンミン、ジージーセミがうるさく鳴くころは電力の消費量がうなぎのぼりになる。では、電力の消費を押さえるために日本中のセミを皆殺しにすればいいか?それはなんの解決にもならないのは小学生でもわかる。同じく「ビールが売れる」と「スイカが売れる」。おそらくビールの売り上げとすいかの売り上げをグラフにしたら大ざっぱな比例関係があるだろう。ではビール会社はビールの売り上げを増やすために、スイカを安く売りまくればいいのか。ビールは嫌いだがスイカは好きな私にはありがたい話だが、ビールの売り上げを増やすにはピーナッツを安く売った方がいいかもしれない。

  因子Aが増えると因子Bも増える

このとき、AとBの関係には2種類ある。いままで述べた例は、すべて「相関関係」と言う。因子Aと因子Bは同時に増えたり減ったり、または片方が増えると片方が減ることが観測される。ただし、人為的に因子Aか因子Bを増減させても、もう片方を増減させることはできない。なぜなら、因子Aまたは因子Bはもう片方の原因や理由になってないからだ。
さきほどの夏の特徴の中で「蒸し暑い」はどうだろう。これはほかのすべての特徴の原因になっている。日本の夏が気温20度で湿度も低ければ、セミも鳴かず、ビールの売り上げも増えず、電力の消費量も上がらない。このとき「蒸し暑い」と「セミが鳴く」、「蒸し暑い」と「電力の消費量が上がる」は「因果関係」にあると言う。
この「相関関係」と「因果関係」、私の拙い文章ではわかりにくいと思うが、それほど難しいことではない。要するに因子Aを0にしたら因子Bも0になるか激減するか、または因子Aを極端に増やしたら因子Bも激増するかを考えれば小学生でもわかることだ。だが、いい大人なのにわからない人もいる*1
この議論は猟奇的な事件が起こるたびに必ず起こる。犯人の部屋から大量のホラービデオが出てきた。犯人はエ□ゲーが好きだった。これらはすべて因果関係ではなくて相関関係だ。

  ホラービデオ→犯罪

  エ□ゲー→犯罪

ではなくて、

  原因A→犯罪

  原因A→ホラービデオ

または

  原因B→犯罪

  原因B→エ□ゲー

である。そうでなければ、大のホラー映画好きの私はとっくに犯罪者でなければならない。犯罪、ホラービデオ、エ□ゲーはさっきの例では「セミ」「ビール」「スイカ」に相当し、なにかの原因に対して同時に起こる事象である。相関関係はあっても因果関係はない。

  ・Aという因子を持っている人は犯罪とホラービデオの両方を好む

  ・Aという因子を持っていない人はホラービデオを好むが犯罪は好まない


  ・Bという因子を持っている人は犯罪とエ□ゲーの両方を好む

  ・Bという因子を持っていない人はエ□ゲーを好むが犯罪は好まない

つまり、原因Aや原因Bを取り除かない限りホラービデオやエ□ゲーを無くしても無意味なのだ。ビールとスイカを根絶やしにしても蒸し暑さは無くならないのと同じである。
もちろん私は残酷なビデオや猥褻図書を野放図にしてよいと言っているのではない。それは凶悪犯罪の防止とは別の問題として議論されるべきである。国会議員の先生方にやってほしいのは原因Aや原因Bの究明*2と、そこから導き出される問題の社会への警鐘だ。これは犯人に聞いてもわからない。わかるくらいなら罪を犯さないだろう。わからないから、聞かれれば「このまえ見たビデオと同じことをしようと思った」とか「ゲームをやって刺激されて」と答えるだろう。なにか言わないと許されない状況で「どうしてこんなことをしたんだ」と聞けばこのような答えが返ってくることは想像がつく。われわれ常人ではけっして超えられないハードルを軽々と越えた彼らなので、その原因など一朝一夕で作られるものではない。そもそも質問をする方がまちがっている。
最後に「人間性を失う」という言葉だが、これほど空虚な言葉もあるまい。「人間性」と対比される言葉はなんだろう。「動物性」?「野生」?エ□ゲーとは、野生からもっとも遠い、しかも寝食足りた者しか興味を持たない、極めて人間的な営みのように思う。もちろん別の要因から暴力性向が作られた人がこの手のゲームをしたら、なんらかの刺激は受けるだろう。問題は、その人の暴力性向がどういう過程で芽生えたかなのである。マスコミもそれがわかっててこのような記事を書くのはいいかげんにやめろ