突然のいとうまい子

少し前の話になるが、「どうする家康」の最終回はオープニングクレジットがなくて出演者は最後にテロップで紹介がある。そのために家康の死の床へ亡き正室や長男が現れたり、先に死んだ家臣たちが回想で出てくることはわからないわけだ。北川景子の二役で茶々が出る回もこうして欲しかった。そのテロップに

   
   いとうまい子

気がついた人はどこに出ていたんだと録画を見直したはず。

   

この時代はなんと呼んだのかわからないが女中の一人、上の写真で左端。セリフは2つだったが、まさかの大抜擢。この最終回を見ていて「パリピ孔明」を思い出したんだよ。最初に見たのがアニメ版で、現代の日本に転生した諸葛孔明が渋谷で会った少女・英子の歌声に感動し、彼女を売り出すための軍師になるという話。

   

孔明には英子の歌を通じて前世では為し得なかった天下太平を実現するという壮大な目的がある。この天下太平は孔明の主君である劉備の願いでもある。なぜ歌で天下太平ができるのか、アニメ版では私はわからなかった。これがドラマ版の最終回、孔明の数々の計略によって英子を音楽フェスの大舞台に立たせることができた。それを見ている孔明

   

   

   
   「我が君(劉備)がめざしたもの(天下太平)がいまここに...」

戦乱の世を生きた人にとっては、大勢がひとつになって歌って踊っている光景こそが天下太平であるというわけだ。実際には音楽フェスによって平和がもたらされるわけではなく、平和だからこそ音楽フェスが実施できるわけだがな。その意味でイスラエルで実施された音楽フェスが急襲されたのは悪い意味で象徴的であった。「どうする家康」のラストシーンも似た光景がある。

   

家康の長男・信康と信長の娘・五徳の婚礼、家臣や女中が歌って踊っている。ちなみに結婚する二人はともに9才なので、嫁というより養女みたいな感じなのだろうか。画面左端、柱にもたれてぐったりしているのが井之頭五郎の先祖である石田数正な。喧噪の輪の外で、家康と正室の瀬名が話している。

   
   瀬名「なんと良き光景でしょう。こんな良き日は二度ありましょうや。
      まるで戦など無いみたい」
   家康「わしが成したいのは今日この日のような世かもしれんな」

戦国時代を生きた人にとっても、みんなが歌って踊っている光景は平和の象徴なのだろう。私も年末の街角で騒いでいる酔っ払いにもう少しだけ暖かい目を向けようと思った。