ハロー・グッドバイ

Leo16さんのブログにも書いてあったが、令和になって思うのは柏原芳恵だ。なぜかはあちらのブログに書いてあるので省略する。あのとき庭に咲いていた一輪のバラをプレゼントされた。そうだよな、高価なアクセサリを持って行ったら「税金であんなもの買いやがって」と批判が出てくるからな。Wikiを見たら、あのときもらったバラの花は特殊加工後に真空保存されていると書いてある。ということはいまでも柏原芳恵の家に飾ってあるのか。あのとき柏原芳恵とご結婚されていれば、いまごろお世継ぎが5人くらいいたのではないかと思う。

いちばん好きな曲は中島みゆきが作った「春なのに」だそうだが、私がいちばん好きなのは「ハロー・グッドバイ」だな。この曲は讃岐裕子のカバー曲だと思っていたのだが、

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讃岐裕子自体がアグネス・チャンのカバーだったのか。しかもB面。この曲の作詞が喜多條忠。私は吉田拓郎かぐや姫の曲で馴染み深いが、いまは日本作詞家協会会長やJASRACの理事を務められている大作詞家なんだな。この「ハロー・グッドバイ」だけでもこの人の力量がわかる。

紅茶のおいしい喫茶店

白いお皿にグッドバイ

そしてカップにハローの文字が

お茶を飲むたび行ったり来たり

できることなら 生まれ変われるなら

私 こんなかわいいカップになりたい

あなたは銀のスプーンで

私の心をくるくる回す

 歌詞を思い出しながらここに書いただけで泣きそうになったよ。主人公の心情を表す言葉が一つもないでしょ。「愛してる!」や「会いたい!」を連呼するいまの歌詞になれた人だとこんな遠回しの表現は鬱陶しいのかもしれないね。讃岐裕子のこの歌、オリコン71位だって。まったく売れなかったんだね。でもなんで私は知っているんだ? 讃岐裕子がテレビで歌っている姿も何度か見ている。たぶん、いまのオリコン71位って販売数5枚だったりするのが、当時は100位以内に入っていればそこそこ露出はあったのかもしれない。いずれにしても平成のその前の遠い昔の話だ。