梅雨の映画まつり「エリザベスとミタライ」

     
皇室とか王室って、先進国の法治国家なら権威はあっても権力はない。住んでいるところは立派だがそれほど贅沢な暮らしをしているわけではない反面、その家に生まれてしまったために一般の国民に比べて大幅に自由が制限される。皇族、王族として振る舞わなければならない。誰のために? 国民のためなのだ。伝統芸能や伝統芸術を相伝している家系と同じ、皇族や王族はその存在、その人生が伝統芸能なわけだ。だから皇族は国民の税金で暮らしていると非難するのはまちがっている。国家のため、国民のために人間として本来あるはずの自由を捨てて皇族・王族として生きているわけだ。この映画はイギリス版「ローマの休日」。ドイツとの勝利に沸くイギリス、終戦を告げるその日に、エリザベスと妹のマーガレットは特別に許しを得て街に繰り出す。いきなりエネルギー開放の妹とはぐれてしまい途中で知り合った青年の助けを借りて妹を追いかける...庶民の暮らしを見て女王としての自覚が芽生えるみたいなところはあるのだが、むしろそういったメッセージは最小限にして最初から最後まで疾走感を大事にした作りになっている。1時までに帰宅するはずが妹と合流してやっと宮殿に帰ったのが朝。エリザベスは世話になったお礼に家族の朝食に青年を招待する。でかい部屋の真ん中にでかいテーブルがあって、国王と王妃とエリザベスと4人で朝食。それうれしいか? だがエリザベスができるのはこのくらいしかないよな。主役のサラ・ガドンがクソかわいい。かなり作り込んだのだろうな、表情や話し方が王室の人そのもの。しかし、こんな映画を作れるのが進んでいるよな。ぜひ、これの日本版を佳子様で作って欲しい。もちろん佳子様役は佳子様ご本人でだ。
     
島田荘司御手洗潔シリーズの映画化。本格推理小説を映画にするのは難しい。映画として地味というか映像化する意味というか。島田荘司の作品なら派手な映像になる作品がもっとあるのになぜこれを選んだ? ワトソン役が御手洗潔シリーズは作家の石岡だが、本作は石岡が旅行中ということで出版社の女性編集者が御手洗潔に同行する。それが広瀬アリス広瀬アリス広瀬すずにそっくりだな。いやアリスのが先に生まれたのだから、すずがアリスにそっくりなのか。