「体罰」は身体に加える罰だ。罰と言うからには罪がある。そうすると加えられた罰が罪に相当するか、そもそも罪なのか、罰を与える資格なり合意が当事者間または社会的に形成されているかなどを考えなければならない。さらに「体罰」には「教育的な指導」とか「愛の鞭」というニュアンスが加わる。ようするに「言ってもわからないから体罰を加えるんだ」と。では「体罰は悪い」ではなく「体罰は良い」のはどういうケースであるか考えてみたい。まず、「言ってもわからないから体罰」とは
相手がわかるように説得する言葉なり指導法を持っていない
ということになる。これを指導者の力量不足と断罪するのは簡単だが、相手があまりにも無知なので常識的に必要とされる指導力では通用しないという場合がある。私は自分の子どもに「光宙(ぴかちゅう)」と命名する親を殴りたい。それをしてはならないのは、この選択肢があるからだと思う。
相手を説得することができなければ放置する
子どもに対する最悪の虐待は放置である、という言葉も聞く。相手にかかわり続けることが指導なんだ、愛情なんだと。だが地上に親と子どもがひとりずつ、指導者と被指導者がひとりずつというわけではない。自分がだめならほかの人に任せるという選択肢は存在する。さらに、いま指導しようとしているそのことが本当に必要か、またはいまこの瞬間に必要かという問題はある。ある技能がどうしても身につかなければ本人の成長を待って後日にもう一度やってみる、または別の技能で代用させるという手はある。では、相手を暴力という恐怖で支配してでもいま相手の行動なり考え方を変えたいときはなんだろう。
相手がいまその瞬間に他人や器物に害を及ぼしている
日本の死刑制度は先進国にあるまじき残酷な行為だと言っている外国の警官が容疑者を射殺するあれだ。学校なら興奮してバットを持って暴れている生徒を鎮圧させるときは、こちらも暴力によって相手の動きを止めるのはしかたないかもしれない。あとは
ハムラビ法典に則って他人に害を加えた者に、同じ害を与える
いじめっこが、いじめられっこを殴ったら先生がいじめっこを殴る。蹴ったら先生がいじめっこを蹴る。上履きを隠したら先生がいじめっこの上履きを隠す。まだまだ考えられるケースはあるが、どう考えても運動部の中でこれらが起こりえるとは思えない。あの先生は悪くないとOBが擁護しているらしいが、そういう悪しき伝統がこの子どもに「退部する」という実に簡単な解決策を与えなかったのだと思う。合掌
【きょうのウェザーガールズ】 生まれて初めての雪を見てはしゃぐ台湾人のウェザーガールズ。一昨日に紹介したツイートに対して、ファンからは一斉に「食べちゃダメだよ〜」「食うんじゃないぞ〜」「腹こわすぞ〜」と返信が寄せられる。夜に更新されたブログ。
今日の始め雪がいっぱい降ったね!
超興奮していました???
今日の雪とイメージの雪はちょっと違いましたね!
全部白いと思いました
でも、本物を見た
かき氷みたいな感じです
そして
私は雪を食べました…
食感は…冷たかったです! ハハハハハハハ
ニューニューかわいいよ、ニューニュー。って、食っちゃったのかよ。あれほどみんながダメって言ってたのに。そりゃ冷たいよ。熱かったら驚くよ。
今日の始め雪がいっぱい降ったね!
嬉しいので、外へ出掛けて、
初めての雪を踏みました
雪がきれいですけど、
歩いてかなり難しいですね〜
靴が全部濡れて転んでやすいです
そうだ?
私はやっと雪を食べたよ!
皆は食べちゃっうダメと言われたけど、
初めてなので、やっぱり食べたよ!
冷たくて、味がないですね〜
ミニちゃんかわいいよ、ミニちゃん。って、君も食べちゃったのかよ。私が直々にダメって言ったのに。そりゃ味がないよ。甘かったら驚くよ。なんでみんな食べちゃうんだよ。きっと自分の人生において、雪とかき氷のどちらを先に経験するかではないかな。雪が先だと、空から降ってきて地面に積もったものを口に入れようとは思わない。しかもすぐに泥だらけになるから。かき氷が先だと味見をしたくなるとか。誰か北海道と沖縄の小学生100人に聞いてみて