月野うさぎの父親はアニメでは登場したものの実写版ではついに画面に現われなかった。それもそのはず、月野うさぎは田崎監督の隠し子だったのだ*1。今日はセーラー戦士の家族構成について考えてみたい。まずは実写版における家族構成を見てみよう。
月 父・母・弟(実写の本編中では父は登場しない)
火 父(別居。アニメでは祖父と暮らしていたが実写では登場しない)
水 母(すれ違い。原作の設定では両親が離婚)
木 無し(両親と死別)
金 不明(登場しない。act15で「お休みなさい」と誰かに言っている)
すごい家族構成である。木野まことは一人暮らし。火野レイも事実上は一人暮らし。水野亜美は鍵っ子。月野うさぎの父は登場しない。愛野美奈子は両親とも登場しない。父親が画面に出たのはレイパパだけ*2。これはなぜだ。レイ、亜美、まことは孤独な少女だったのを、うさぎが救済したという映画版セーラームーンの解釈もあろう。これを指して父親不在の現代を表わしているとか、いびつな家族がどうだとかの分析をした評論を見かける。それに異を唱えるつもりはない。きっとそうなのだろう。だが私はこの問題を別の角度から考えてみたい。
12月18日の日記でヒーローには攻撃型ヒーローと迎撃型ヒーローがいることを書いた。今日は別の分類でヒーローを考察する。それは「オールタイムヒーロー」と「パートタイムヒーロー」だ。名前でわかると思うが、
オールタイムヒーロー:アンパンマン、ゲゲゲの鬼太郎、デカレンジャー、大岡越前
パートタイムヒーロー:スーパーマン、セーラームーン、ウルトラマン、水戸黄門
オールタイムヒーローは履歴書の職業欄に「ヒーロー」と書く人たちだ。いわば『職業軍人』。悪を倒し世の中の平和を守ることが、その人の存在そのものである。そしてヒーローであることで生活が保障されている。ゲゲゲの鬼太郎は生活が保障されているとは言い難いが*3、ライフスタイルが質素なので困っているようには見えない。
パートタイムヒーローは平常時は市民として生活をしているが、悪が現われるとヒーローになる。その平常時と有事の落差が物語のスパイスになっている。パートでヒーローをやるのは、奥さんが3時間だけ東急ストアでパートタイマーをするのと逆で、ヒーローが生活の糧になっていない。いわば『ボランティア』『NPO』である。その分、オールタームヒーローに負けない、いやそれ以上の正義感、使命感、宿命を持っている。だが、残念なことに1日中、悪と戦っていては生活ができなかったり進級ができなかったりする。悪が現われるまでは、せっせと仕事、勉強、カラオケに熱中するのである。水戸黄門は生活が保障されている分オールタイムで働いて欲しいが、太平の世なのでそれほど敵がいない。
(つづく)