U-NEXTですごい作品を見つけてしまった。Amazonプライムには無いがDVDが発売されている。
これが何かを説明するために、まずは映画「スーパーマン」の年表を。
1978年 映画「スーパーマン」公開 監督:リチャード・ドナー(日本公開は1979年)
1980年 映画「スーパーマンII」公開 監督:リチャード・レスター(日本公開は1981年)
2004年 父親役:マーロン・ブランド死去(80才)
2004年 スーパーマン役:クリストファー・リーヴ死去(52才)
2006年 「スーパーマンII リチャード・ドナーCUT版」発売
2018年 ロイス・レーン役:マーゴット・キダー死去(69才)
公開されてから半世紀近くが経っているし、クラークもロイスも亡くなっていて映画史の1ページになってしまった。クリストファー・リーヴさんは落馬の事故で半身不随になり、それでも俳優や障がい者のための活動をしていたが若くして亡くなった。マーゴット・キダーさんも平均寿命を考えれば若くしてお亡くなりになったと言える。自殺だったらしい。
1作目を撮影していたときに2作目の撮影も並行して行われていたという話は公開時から出ていた。当然、監督はどちらもリチャード・ドナーになる。ところがスーパーマンのクリプトン星での父親役であるマーロン・ブランドが2作目の製作にあたり法外なギャラをふっかける。とても受け入れられる話ではなかったので2作目ではマーロン・ブランドは出演しないことになった。ところが2作目はすでに撮影が完了しているシーンも多い。しかたないのでマーロン・ブランドが出るシーンをすべてカットし、撮り直しになった。それが頭に来たのか、ほかにも理由があったのか監督のリチャード・ドナーが降板し、2作目の監督はリチャード・レスターに交代し、映画の完成と公開にこぎつけた。ただ、リチャード・ドナーが撮影した2作目を見たいというファンの声は前からあり、クリストファー・リーヴ氏の追悼の意味も込めてリチャード・ドナー監督による再編集が行われたのが本作だそうだ。これには映画「スーパーマン・リターンズ」の公開や、マーロン・ブランドが亡くなり遺族だか権利者と映像が使えるように話がついたこともあるかもしれない。
さて、リチャード・ドナー版を見た感想だが、「ジャスティス・リーグ」ほどではないが、けっこう違う。全体的に劇場版を見たとき無理があるなと感じていた展開が、もともとはもっと自然に進行していたのが驚き。U-NEXTなら無料なので興味がある人はぜひご覧いただきたい。主な変更点を列挙するが、オープニングクレジットでいきなりやられる。
「愛を込めてクリストファー・リーヴに捧げる」
「彼は人が飛べるという夢を与えてくれた」
ここは泣ける。この先はネタバレにならない程度にどんどん行くよ。
1.ファントムゾーンが壊れたきっかけ
クリプトンを追放されたゾッド将軍たち3人はファントムゾーンに閉じ込められていた。エッフェル塔のエレベーターに仕掛けた原子爆弾をスーパーマンが宇宙まで運び爆破させたのでファントムゾーンが壊れて3人が月を経て地球に来るのが劇場版。だがドナー版では別の理由で壊れる。
2.エッフェル塔のエピソードが無い
エッフェル塔でスーパーマンがロイスを救出するエピソードがまるまる無い。ではどうやってファントムゾーンは壊れたの? それが1になる。
3.ロイスがデイリープラネット社の窓から飛び降りる
クラーク・ケントがスーパーマンであることを確信したロイスは、変身したクラークに助けさせるために窓から飛び降りる。スーパーマンに変身せずクラークのままでロイスを助ける、実際には偶然のように助けるのが序盤の見せ場。
4.クラークの正体がロイスにバレた瞬間
劇場版では変身したクラークが見たいために川に飛び込むがそのシーンはない。だが川に飛び込んだので濡れる→暖炉で濡れた髪を乾かす→うっかりブラシを火の中に落とす→反射的にクラークが火の中からブラシを拾う→火傷をしてないクラークの手を見たロイスは彼がスーパーマンだと確信する。これが劇場版での正体バレのシークエンスだが、ドナー版ではロイスは川に飛び込まない。ではどうやって知ったのか。かなり過激な方法だ。
5.スーパーマンが人間になるプロセス
ロイスとの愛を貫くために人間になろうとするスーパーマン。劇場版は簡単に決断してしまうが、ドナー版ではそれを止めようとする父との対話がある。ここで父が危惧していたことがすべて現実になってしまうので、よけいにその後の後悔が大きいわけだ。
6.スーパーマンが元の身体に戻るプロセス
劇場版は自分が破壊してしまった北極基地でひたすら悔やむクラーク。ロイスが手にしてそのまま置いてあったために破壊を免れた緑色のクリスタルをクラークが手にするところまで。だがドナー版はその先が描かれている。緑のクリスタルで基地が修復されると父が現れる。地球を守るために決意をあらたにするクラークに対して父があることを行い、それによって元のスーパーマンに戻る。3人を倒してロイスと北極基地を後にするとき、劇場版にはなかったあることを行う。それはここの父との対話に関係するので劇場版には入れられないのだ。
7.エピローグ
スーパーマンの正体を知っているロイス。劇場版ではキスをするとロイスの記憶が無くなったが、ドナー版はすごく大がかり。ホワイトハウスに行って星条旗を立てるシーンはドナー版では無い。入れたらおかしいのだ。だが最後のシーンは劇場版と同じで田舎の食堂で自分を殴った男に仕返しをする。このシーンを残すとエピローグとして矛盾するのだが、ほかに気の利いたラストシーンがなかったか。追加で撮影することはできないからなあ。
細かいカットはまだあるが、およそこんなところだ。半世紀前の映画だが、久しぶりに見てもまったく古くさい感じはしないんだよなあ。特撮もCGがまだ無い時代なので、すべて光学的な合成やクレーンで吊り下げているがよくできているよ。クリストファー・リーヴ版のスーパーマンをあらためて見ると、労働者風のマン・オブ・スチールってなんなのとつくづく思う。