もしドラよりこっちが先だ

こんなニュースがあった*1

  台湾の中南部嘉義県の余政達県議会議長は15日、東日本大震災で被災した日本の中学生38人を、

  夏休み期間中、嘉義の一般家庭での長期ホームステイに招待する計画を発表した。

  震災発生から3カ月にあわせて同議会が提案した「添福日本、台湾有愛」活動で、

  余議長らは今月9日、日本で説明会を実施。

  岩手県の岩泉町立小本中学校から全校生徒38人の強い参加希望を受けた。

  (中略)

  余議長は1999年の台湾中部大地震や、2009年の台風被害の際の日本からの手厚い救援

  に対するお返しとして「得難い異文化体験をしてほしい」としている。

ああ、よかった。行きたい子が誰もいなかったらせっかくの好意が無駄になってしまうので「強い参加要望を受けた」と聞いて安心した。夏の台湾は怖ろしく暑いだろうが楽しんできて欲しい。まちがっても台湾の男の子と喧嘩をしたり、女のコのスカートをめくったりしないように。Miniちゃんに会ったらよろしく言っておいてくれ。それにしても被災地の中学生を招待するにあたって「気の毒だから」とか「かわいそうだから」と言わないで、あくまでも「お返し」。この奥ゆかしさと相手の自尊心を傷つけない大人の態度は日本の政治家も見習って欲しい。
ただ私が驚いたのはここではなくて、中略の部分。そこを書き出す。。

  嘉義は日本統治時代の1931(昭和6)年、夏の甲子園大会

  (全国高校野球選手権大会の前身、全国中等学校優勝野球大会)で

  準優勝した嘉義農林学校(現・国立嘉義大学)で知られ、台湾でも特に親日感情が強い。

なんと、日本が統治していた時代に台湾の高校が甲子園に出場していたのか。それも参加することに意義があるなんてもんじゃなくて準優勝。台湾の選手たちを観客や対戦校はどのように迎えたのだろうか。よく来たね〜と歓迎ムードだったのだろうか。それともかなりアウェーな感じだったのだろうか。あるいはそのどちらでもなく、いまだったら沖縄の高校が来たくらいに台湾は日本の一地方だったのだろうか。「台湾でも特に親日感情が強い」と書いてあるから、少なくともそうそうイヤな思いはしなかったと信じたい。たぶん、この高校からして農業の発展のために日本人が作ったのだろうから、向こうの学生に野球を教えたのも台湾に渡った日本人の先生たちだろう。あのさ、もしドラを映画化している場合じゃないでしょ。こんな素敵な題材、映画にしない手はないでしょ。
野球部のマネージャーは沢井美優。幸い、この時代の台湾の子どもならみんな日本語を話しているから中国語を覚える必要は無い。遊び程度に野球をやってた野球部だが、ある日、巨人軍の幻の名三塁手だった男*2、死に場所を求めて台湾で流浪の旅をしている。その男とあるきっかけで知り合った沢井美優演じるマネージャー、そこから物語は大きく動き出す。野球部はめきめきと強くなって、日本人の軍人さんが上層部にかけあって甲子園に出場できることになる。貧乏な村なので村中で募金をしても本土までの渡航費用がない。野球部の練習を冷ややかな目で見ていた自動車会社の御曹司、実は元野球選手で*3ポンとお金を出してくれる。8月の晴天の空の下、台湾の高校生たちが入場行進。ユニフォームのボロさに観客席からは嘲笑が漏れる。応援席には5人しかいない。この台湾チーム、さすが幻の三塁手の指導を受けただけあってなかなか強い。だがピッチャーが相手を打ち取るたびに、バッターがヒットを打つたびに観客席からは罵声が飛んでくる。たった5人の応援団も肩身が狭い。それでも亜熱帯の台湾、夏の甲子園には強い。ついに決勝戦をむかえる。あいかわらずのブーイング。それでも選手たちのひたむきな姿に5回を過ぎたあたりから観客席からは惜しみない拍手。もう声もかれてしまった5人だけの応援団。ふと後ろを見ると台湾チームに敗れた対戦相手が陣取りいっしょに応援をしてくれている...それでも本土の名門チームは強い。泣きながら甲子園の土を袋に詰めていると、対戦校のナインがやってくる。台湾のエースに「貴様らこそ侍だ」と言って胴上げをしてくれる。沢井美優の目に涙。観客席の柱の影で星一徹も涙を拭いている*4

*1:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/512542/

*2:星一徹

*3:花形か

*4:来てたのかよ。ベンチに入れよ