「前世の記憶」問題が決着したのではないだろうか

実写版の謎の一つ「前世の記憶」問題。前世の記憶を取り戻さなければならないとさんざん言っておきながら、もともと持っていた美奈子を別にすると、誰も思い出さないまま最終回を迎えてしまった。これに対する私の解釈は

  前世でのプリンセスセレニティとセーラー戦士たちの主従関係を現世に持ち込ませないための

  ストーリー展開上の措置

だった。だったと思う。もう長いことやってると、過去に書いたのか書いてないのか、自分が書いたのかLeo16さんが書いたのか記憶が曖昧で。またact40だっただろうか、レイが美奈子に「私たちは(うさぎを)プリンセスって特別扱いしないのよ」という内容の発言があった。
この「前世の記憶」問題に対して遅れてきた戦士のMASAさんが面白い解釈をされていた。こちらを*1読んでいただけば済むことなのだが、過去に私が語った言葉で整理してみたい。そもそも前世の記憶を取り戻すことは、それ自体が重要なのではなくて

  1.セーラー戦士は前世のセーラー戦士と同じだけの戦闘能力を持たないで現世に生まれた

  2.ダークキングダムに対抗するにはセーラー戦士本来の強い力が必要

  3.それには前世の記憶を取り戻す必要がある

この三段論法の帰結として前世の記憶が必要なのであった。実は2と3の間の因果関係は視聴者は確かめようがなく、ルナやアルテミスがそう言うので信じるしかない。前世の記憶というより前世でセーラー戦士が会得していた戦闘方法を思い出せば強くなるだろうなと考えれば必然性が無くは無い。私のようにアニメ版を見ていた者は、アニメに出てきた古代の月の王国の描写が実写版ではどうなるのだろうという興味から、セーラー戦士が前世の記憶を取り戻すのを心待ちにしていた。ここにアニメ版視聴者がたびたび陥る実写版の罠がある。罠と言っても制作側が用意したものではなく、アニメがこうだったから実写版もこうだろうというこちら側のミスなのだが。
もう一度言うが、

  「前世の記憶」は「前世の戦士の力」を取り戻すためだけに必要なのであり、

  実写版の世界ではそれ以外には「前世の記憶」の必要性はまったくない

のである。つまり、前世の記憶を取り戻すことは目的ではなく、前世の戦士の力を取り戻すための手段なである。そして、

  ルナやアルテミスは前世の記憶が戦士の力を取り戻す唯一の手段だと思っていたが、

  平成のセーラー戦士たちは別の手段で戦士の力を取り戻した。

  その結果、前世の記憶は必要がなくなった

これがMASAさんの「前世の記憶」問題への答えである。小林靖子がどう考えていたかは知りようがないが、もしかすると深く考えていなかったのかもしれないが、この説は実に単純明解、非の打ち所がない。さらに戦士の力が覚醒したきっかけは

  月・・・衛への愛情を認める(act25がそうなのであれば)

  火・・・仲間を信じて自分を委ねてみる

  水・・・壊れかけた友情が修復されたことを知る(act29の水芸がそうなのであれば)

  木・・・亀吉の愛情を受け入れる

関係性はそれぞれ違うものの、愛情も友情もすべては「他人への信頼」である。それは自分自身が他人からの信頼を得られるような人間であることとセットでなければならない。結局のところ戦士の覚醒の条件とは、前世から受け継いだ強大な力を私利私欲でなく愛と正義のためだけに行使できるところまで人間として成長することであった。これがシリーズ全体を貫いているこの作品のテーマであり、このテーマは戦士の力の覚醒というイベントを通して、いろいろなパターンで繰り返し視聴者に提示される。
これに対してact42で語られる前世でのプリンセスセーラームーンセーラー戦士の関係は冷たい*2。これが前世の記憶なのであれば、そんなものは平成のセーラー戦士にとっては不要である。これに固執したがために美奈子が覚醒できなかったのは、ルナもアルテミスもまちがっていた。だがこの二匹(二個?)だけを責めることはできない。act23で美奈子がレイに「欠けていた何かが見つかったようね」と言っておきながら、それを自分に置き換えられなかった美奈子は最後まで孤独で愚かで哀れであった。