君はシモンズの「ふり向かないで」を知ってるか

便利な世の中になったものだ。「便利」とは、いままで1時間かかってたことが1分でできるようになったという「改良」に属する便利さがほとんどだが、今日はいままでは不可能だったことが可能になったお話し。
You○ubeを見ていて、まったくの気まぐれで

  ...あはは、まさかね

と「シモンズ」と入れたのだよ。すごいぞ、You○ube!!なんでだ、You○ube!!。でてきたよ、「恋人もいないのに」と「ふり向かないで」のPV。とくに「ふり向かないで」は

  私が墓場に持って行きたい十の名曲

に入る。90年代以降の日本の音楽、とくにA○EXが牽引したJ-POPの最大のカルマは歌詞を軽んじたことだと思う。たしかにノリのいい洋楽に一音一音をはっきり区切る日本語の歌詞は乗りにくい。日本のポップスの歴史は日本語の歌詞と洋楽をどうやって親和させるかの苦闘の歴史だろう。反論はあるだろうが、私の個人的な考えではこれに成功したアーティストは桑田○祐だと思う。そのルーツを辿ると吉田拓郎忌野清志郎に行き着く。だが桑田○祐にはまだ日本人の土着性の音楽の薫りがする。ジャンルの呼び方がニューミュージックからJ-POPになって、A○EXが台頭してきたころ、誰が考えたかは知らないがこの日本語問題に対する最終的な解決方法が見つかった。それが

  リスナーが歌詞を聴き取れなくても良いことにする

つまりメロディを優先させて無理に歌詞の一語一語を発音することを止めたわけだ。これにより欧米の言語にはあって日本語にはない単語の語尾がつぎの単語にどんどん繋がっていくやつ(用語を忘れた)を邦楽で実現させた。名付けて「ハミング唱法」。これに英語そのものの歌詞を大量に注入することでアジアを席巻するJ-POPの華が開いたわけだ。
記憶にいつまでも残って10年後、20年後も口ずさむ歌は記憶に残る歌詞がある。たいしてヒットもしなかったシモンズのこの曲はメロディもさることながら歌詞が私のツボに入ったのでまだ覚えているわけだ。これは私が古い人間で、私の脳が古い構造だからかもしれない。いまの若い人は歌詞よりもメロディをインデックスにした検索のが簡単なのかもしれない。あと10年後、どこのくらいの曲が記憶に留まっているんだろう。
話をシモンズに戻す。いま調べたらこの曲は1971年12月の発売。まずこの時代にPVがあったのが驚いた。そこらの公園で撮影した実にチープな作りで見ていて情けなくなるようなビデオだが、いまから30年以上も前からPVはあったんだ。さらにこの曲の作詞作曲は谷村○司。このころはまったくの無名だったはず。彼のアリスとしてのデビューを調べたら1971年12月。なるほど。さらに調べると右側の人は田中ユミ*1。1953年生まれだ。いまでも音楽活動をやっている。左側の人は玉井タエ。タエだぞタエ*2。この人が結婚した相手が後藤次利。彼はタエと別れて木之内みどりと結婚したわけだ。う〜ん、昭和の芸能史だ。以前に石川ひとみの話でも触れたが、私がこういうものを見られるのはYou○ubeのおかげというより、こんなビデオをいまだに保管して、わざわざデジタル化してアップする奇特な人のおかげだ

*1:いま初めて知った

*2:全国のタエさんごめんなさい