いくら芸能ネタだからといってこれはひどくないか

いろいろなところに出ていたので、どれをソースにしよう。たとえばこれ*1

  広瀬すず中二病疑惑?「冷めてるっていうかドライ」「音声とか照明とか何でそんな仕事してるんだろう?」痛発言連発

どんな発言だったかというと

  ・眩いイルミネーションを見ていても、「どこからどう繋がって、あんな高いところにかけたんだろう……?」と、その美しさよりも構造が気になる

  ・どうして生まれてから大人になった時に、照明さんになろうと思ったんだろう? 

  ・録音部さんとかも、(録音マイクを掲げ続けるのは)すっごい腕疲れるのに、なんで自分の人生を女優さんの声を録ることに懸けてるんだろう? って考えちゃう

  ・大人になって年齢重ねると共に、『本当に(自分は)こんな声を録るだけでいいの?』って思うんじゃないかって

ふつうだろ。タレントにしておくのがもったいないくらい素直で賢い子ではないか。私が採用の面接官だったら「私、イルミネーション大好きなんです。キラキラしてきれいですよね」だったら可もなく不可もなし、または不合格。「私はあんなにたくさんある電球をどうやってつなげて、あんなに高いところにどうやってかけたのかの方が気になります」なら合格。照明や録音を仕事にしている人って、こう言われたら傷つくか? むしろ「ただマイクを持っているだけだと思うだろ。よい番組はよい音声から。ど素人のおまえらにはわからないだろうが、番組のクオリティは俺のマイクしだいなんだぜ、ふふふ」と思うのではないか? それがプロフェッショナルのプライドというものではないか?
この記事はこう結ばれている。

  どんなに女優が良い演技をしても、それを撮るカメラ担当、音声を拾い録音する担当、そして美しく見せるための照明担当、

  さらにタイムキーパーや機器管理・調整をするビデオエンジニアなどなど、複数の人間がそれぞれの仕事をこなさなければ、

  その1シーンは世に出ない。そうした各々の役割が広瀬にはまだ見えなかっただけかもしれない。

  (犬咲マコト)

こういう発言の方がプロを馬鹿にしている。ダイバーシティとか個性重視とかよく聞くが、ここで求められる多様性とか個性とかはあくまで大多数の人が好ましいと思う多様性や個性なのである。だがそんなものは多様性や個性ではないだろう。たとえば私が「個性なんかいらない! 画一的であることこそ人類の幸せだ」と主張したら非難される。個性なんかいらないと思う私の個性は尊重されないわけだ。なにより犬咲マコトはもっと大切な点を見落としている。広瀬すずくらい可愛かったらなにを言っても許されるのだ*2