クロスファイア「ヒーローになることの必然性」(後編)

矢田亜希子演ずる主人公・青木淳子は同じ会社に密かに思いを寄せる男性(伊藤英明)がいる。偶然、声をかけられ独身寮の寮祭に誘われ、そこで彼の妹と仲良くなる。ところが妹はそのころ頻繁に出没していた集団にレイプされ殺される。復讐を誓う兄。それを知った淳子は妹のため、そして彼に犯罪を犯させないため自らの能力を使い犯人を抹殺することを決意する。ここで、原作ではぼやけていた「なぜ主人公は戦うか」が映画では「復讐」の一点にビタッとフォーカスされる。そして見ている我々は主人公の怒りと悲しみにシンクロできるのである。
だが、ここで考える。これはもはや正義ではない。結果的に悪い奴を倒すことになっても、復讐に正義はないのだ。それは私憤であって義憤ではない。この主人公は悲劇のヒロインではあっても正義のヒーローではない。現代において、リアリティを持ってヒーローを登場させることはできないのだろうか。復讐にリアリティがあっても正義にリアリティが無いのでは悲しすぎる。だが、そこを無理に追求しないでわかりやすいテーマに切り替えた点がこの映画の成功(と少なくとも私は思っている)の原因であろう。
と冷ややかな感想を述べてしまったが、特撮物が好きな人で矢田亜希子が好きな人−少なくとも嫌いではない人ならお勧めである。小説では燃やすだけだった主人公の発火能力が意外なところで使われておりアイデア賞ものである。憧れの男性との出会いのシーン、キスシーンは美しい。またクライマックスの戦いのシーンでは、炎上したタンクローリーを消すために思いもよらない方法で鎮火をする(吹き飛ばすのではないですよ)。
なお、前編の冒頭に書いた長澤まさみであるが、この映画がデビュー作でかなりイモっぽい。なので私は今日のブレイクはまったく想像できなかった。最近、彼女のプロフィールを見るまで、クロスファイアに出ていた子と思わなかったのである。その点でも必見の映画である。