改良版 しま子

昨日の続きで、改良版の「しま子」を作った。

   

昨日の「ラグジュアリーしま子」をここまでにするための指定が

アパレル小売店である「しまむら」のイメージキャラクターを作って。
若い女性でフォトリアリスティックなデジタルアート。
顎を丸くして、おでこはやや広い。
しまむら」の安い服が似合いそうな明るく庶民的。
親しみやすい笑顔。髪は黒いボブショート

だいぶ「しまむら」の専属モデルっぽくなったでしょ。シャツのロゴが「Shinamura」になってんじゃん。これの一つ前のバージョンがこれ。

   

このときの指定が

アパレル小売店である「しまむら」のイメージキャラクターを作って。
若い女性でフォトリアリスティックなデジタルアートの全身像。
顎を丸くして、おでこはやや広い。
明るく庶民的。親しみやすい笑顔

前から気になっていたのだが「全身像」をどうやっても描いてくれないんだよね。かなり頑張ったのだが、やはり本物の専属モデル「瑠菜」に比べるとリアリティで劣るんだよね。あの「ちょいぶさ」加減がまさに匠の技。何十年後か百年後かわからないが、人間そっくりのアンドロイドがふつうに街中を歩くようになる世界を想像する。そこでは北川景子浜辺美波みたいなロボットは標準品、岸井ゆきのや古川琴音みたいなロボットは特注品でむしろ高額なはず。美人とは数が少ないから美人なのであって、簡単に作れてしまうと価値観ががらっと変わるのではないか。逆に生身の人間には美を求めなくなるかもしれない。力が強いとか足が速い、あるいは語学が堪能とか論理的思考に秀でている。これらの身体能力の才能、知的活動の才能、これらの才能の差がテクノロジーによって補えるようになった。残った才能である「ルックス」の差もテクノロジーで解決される日も近い。現在は化粧や整形手術で自分の顔を変えていたのを、美男美女のアンドロイドが街にあふれかえることで、人間はルックスから解放される。これこそ究極のルネッサンスではないか。ああ、産まれるのが100年早かった。