原理主義者の本懐

昨日の記事の「セーラーコスモス」ってなに? 検索したら

dic.pixiv.net

※注意
現在このキャラクターに関する記事は大変炎上しています。
くれぐれも批判的な事は書かない事をお願いします。

なんで???

概要
原作漫画版第五部「セーラースターズ」(シャドウ・ギャラクティカ編)に登場。
月野うさぎセーラームーン)の前に現れた謎の少女・ちびちびの原作版での正体で、セーラームーンに似た背格好を持つ銀髪のセーラー戦士
全体的に白いが、レインボーカラーのエプロンをアクセントに着けている。
ちびちびの正体が原作版と旧作アニメ版で違うため、旧作アニメ版には登場しない。

原作が唯一の正典だと思うのだが、アニメ原理主義者はアニメと異なる原作を認めないのか。これでこそアニメ原理主義の本懐。もっと炎上しろ。この人たちって小説は読まないのか? 映像化されるとき、原作と部分的に違ったり、設定だけが同じでまったく違う話なのはよくあること。いちいち「ここが違う」と怒ってたらきりがないし、見なければいいと思うのだが。いや、違うか。それはむしろ普通の反応で、アニメ原理主義者に習えばドラマや映画が正しくて、それと違う原作を糾弾するのか。無理だ、私の理解が及ばない地平だ。原作と映画の違いで言えば、この作品がAmazonプライムで会員無料になった。

映画のレポで書いたが、伊坂幸太郎の小説「マリア・ビートル」の映画化。ただ予備知識なしに映画を観たら、原作を読んだ人でもこの映画が「マリア・ビートル」の映画化だとすぐにはわからないくらい原作とは違う。それでも最後まで見ると所々に伊坂幸太郎のテイストが残っていて、脚本家が原作をちゃんと読み込んでいるのがわかる。そこに伊坂幸太郎ファンは頭を垂れるわけよ。小説が映像化されるとき、そのまんまにはならないことを知っているからな。「ロボコップ3」でロボコップがマリー・ラザラス博士に「記憶を消さないでくれてありがとう」と言うあれな*1

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*1:たとえがわかりにくすぎる