談話

当然、発信先によってニュアンスが違うが*1

  首相は決定後に官邸で記者会見し、談話を発表。

  談話では、先の大戦に関し「お詫(わ)び」や「侵略」「植民地支配」といった過去の首相談話のキーワードについて対象を名指しせずに触れる一方、

  「子や孫、その先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べ、謝罪の繰り返しに歯止めをかける考えを示した。

当然だ。爺さんが隣の家の爺さんをぶん殴ったことを、いまだに孫が隣の孫に謝り続ける。それに対して隣国は*2

  韓国の聯合ニュースは「日本の植民地支配と侵略を明示的に認めなかった」と指摘し、

  「(戦後50年の)『村山談話』の歴史認識から大きく後退したと評価される見通しだ」と分析。

  談話の「私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という部分に関しては、

  「歴代内閣の立場継承という言及の真意さえ疑わせる」と酷評した

この国は「謝罪」の意味が日本や諸外国とまったく違うので気にする必要はない。まず「対等の関係」という概念がない。近代国家、近代市民が望むものは相手との対等な関係だ。それがあるから感謝が生まれる。対等な関係においての謝罪があるからそれへの許しも生まれる。だが隣国には上下の関係しかない。それを決定づけるのが謝罪。日本の首相が隣国の大統領に謝罪をすることによって隣国は日本より「上」であると安心感を得られる。だが安倍ちゃんはクネに謝罪はおろかまともに話さえしてないので自分たちのが「上」であると認められないのである。代わりにルーピーが土下座したからいいではないか。いや、よくはない。引き続き日本は謝罪がないと怒っていて欲しい。日本はまったく困らない