いまもフォークシンガー・四角佳子

君は四角佳子(よすみけいこ)を知っているか。いくら平均年齢が高い実写版セーラームーンファンでもこの話題に付いて来られる人は少ないだろう。恥じることはない。私がオッサンなだけだ。
1970年代、まだJ-POPなんて言葉も無くて、ニューミュージックという言葉さえなかったころ、フォークソングというジャンルがあった。このフォークソングだが、岡林信康とか遠藤賢二*1とか加川良というスターがいた。この人たちはかなりむさ苦しいかっこをして、反体制の非常にメッセージ色の強い唄を唄っていて、テレビに出てくる歌手の人たちとは一線を画していたわけだ。そこに出てきたのが吉田拓郎である。彼は根っからのフォークソングファンからの批判を浴びながらも、マイナーなフォークソングを一気にメジャーにし、フォークソングと歌謡曲の垣根を取っ払った。ピュアなフォークシンガーの人たちが出るステージに吉田拓郎が出ると場内は一斉に「帰れ」コール、物さえ飛んでくる。吉田拓郎がその両手を血で汚しながら切り開いた道を松任谷由実が、サザンが、長渕剛が疾走し、アジアを席巻するJ-POPが花開いたわけだ。彼の価値を「結婚しようよ」や「旅の宿」で推し量ってはいかん。彼は大衆受けしそうな曲をシングルで、彼本来のメッセージを込めた曲をアルバムで発表するという戦略を取った。吉田拓郎の熱烈なファンはアルバムだけ買って、シングルを買わなかった。私はいまでも「人生を語らず」で泣ける。「僕の唄はサヨナラだけ」で号泣できる。「こうきしん」で旅立てる*2。だが、今日の話はそれではない。
当時、女性のフォークシンガーというのもいた。カルメン・マキとか浅川マキとか山崎ハコとか加藤登紀子とか。森山良子をこのカテゴリに入れるかは難しいが、彼女を別にすればビジュアル的にトップだったのが五輪まゆみ*3だったのだから、そのすごさがわかるだろう。そんなむさ苦しい女性フォークシンガーの中で神々しいばかりの美貌を誇っていたのが六文銭のボーカル・四角佳子だ。六文銭小室等がリーダーのグループで当初は「原○爆弾の赤ちゃん」なんて唄を唄って発売禁止になったりしていたが、及川公平と四角佳子が参入した後期は「面影橋」「夏二人で」そして誰でも知ってる「出発の歌」など数々の名曲を残した。このあたりの曲調は伊勢正三を経て大瀧詠一に流れていると思っているのは私だけか。
さて四角佳子だが、絶頂期に吉田拓郎と結婚する。なんてもったいないと思ったが、我が人生の師である吉田拓郎ならしかたない。なにしろ、私の人格を形成している成分の50%は吉田拓郎、20%が梶原一輝、25%がゴルゴ13、5%がセーラームーンだからな*4。二人の間に女の子が生まれるが、結婚生活は長くは続かなかった。この辺の事情は書くのがつらいので省略する。
そんな四角佳子の名前をロイヤルパークホテルのチラシで見つけたのだよ。これまた吉田拓郎つながりの「猫」とのライブだ。猫がまだ活動していたのも驚きだが、四角佳子が活動していたとは。子供はもう成人しているはずだよ。さすがロイヤルパークホテル、ディナーショーでもなく飲み物も付かないで5,000円もするので行かないけど*5、初恋の人に巡り会ったような懐かしさだ。いつまでも元気でがんばって欲しいなあ。

*1:字を忘れた

*2:どこへだよ

*3:字を忘れた

*4:なんて安っぽい人格だ

*5:そこまで言うなら行けよ