「セーラーヴィーナス」愛野美奈子の蹉跌(その2)

過去に台本の検証を何度か行なったが、Leo16さんがact16を例に指摘されているように*1台本に忠実にドラマを組み立てると実際に放送されたものとだいぶ様相が異なる。実写版の特徴として

     ・伏線が張り巡らされた複雑な脚本

     ・5人の監督が持ち回りで演出

     ・沢井美優以外は素人の役者で構成されたセーラー戦士

監督による脚本の解釈のしかた、解釈した脚本の演出のしかた、演出にもとづく演技のしかた、その演技を見た視聴者の解釈のしかた、それぞれにフィルターがかかる。これはセーラームーンに限らず演劇・映画・テレビドラマで共通のことなのだが、複数の監督の持ち回りの演出による解釈の差と、役者の演技の未熟さによって台本と視聴者から見た印象の差が大きくなっている箇所が少なくないような気がする。この点は台本の検証で何度か指摘した。
もう1点は原作に対する敬意と、スポンサーサイドの要請である。セーラームーンセーラームーンと4人のセーラー戦士の物語。そして4人のセーラー戦士は基本的に赤、水色、緑色、オレンジ色の色違いのセーラー服を着ている。これを変えることはできない。また玩具、とくに10月に開始したドラマが12月のクリスマス商戦を迎えるまでの2月半の間に5人のセーラー戦士を勢揃いさせなければならない特殊事情が加わった。
この2点の制約条件の元で、小林靖子が創作したセーラーヴィーナスが、我々が放送で見た新セーラーヴィーナスである。私は別に小松彩夏に不満はない。奇跡のキャスティングのセーラー戦士にふさわしい美少女である。また小松彩夏の持つある種の「はかなさともろさ」が、どんなに火野レイにいじわるをしても決してそれが彼女の本意でないことを感じさせる新セーラーヴィーナスになっていた。なにしろ私は小松彩夏掲示板の古くからの常連である*2。だが、仮に愛野美奈子セーラーヴィーナス役が小松彩夏でなかったら、たとえば河辺千恵子セーラーヴィーナスだったら、そしてセーラーヴィーナスのコスチュームが他のセーラー戦士とまったく異なったものだったら、セーラーヴィーナスに視聴者が感じた疑問2と3は生じなかったのではないか。
(つづく)と、いまだ何を書きたいのか自分でもわからないまま、明日からまた出張です。もうイヤ

*1:http://d.hatena.ne.jp/Leo16/20061125

*2:胸を張って主張するにはいささか痛い話題だ