「僕の彼女はサイボーグ」レポ(追記の追記)

昨日のレポを読み直していたら、たいへんな矛盾に気がついたよ。儀式なんてどうでもいい、まさにタイムパラドクスに引っかかってるじゃないか。少林少女が柴咲コウのかっこよさを愛でることのみに存在価値のある映画だったように、この映画は綾瀬はるかの可愛さを愛でることができれば、細かい矛盾などはどうでもいいのだ。だが、綾瀬はるかは巨ぬうという付加価値がある。その付加価値の分だけ私も綾瀬はるかに対して柴咲コウより何か労力を払いたいではないか*1。考えたよ、2時間も。そして1時間かけて図を作ったよ。綾瀬はるかのように巨ぬうでもなく、柴咲コウほどかっこよくないセーラー戦士に対して3年半の手間をかけている私の真心をわかって欲しいな*2。まずは、この図を見ていただこう。昨日の図をもっと正確に書いたものだ。

プロローグで人間の彼女が現われる。ところが、これは(2)で機械の彼女が現われて歴史が分岐する前なのだ。すると人間の彼女は、機械の彼女が主人公の前に現われる歴史ではなく、主人公が機械の彼女を作った歴史の方から来たことになる。しかも機械の彼女は元の歴史に戻ってない。すると人間の彼女は主人公のことを知りようがないのだ。では、新しい歴史のエピローグBの時点で(1)に戻ったのか?それはない。なぜなら、エピローグBの歴史は(1)を含んでいるので人間の彼女は自分自身が現われる過去を見たことになってしまう。以前の日記に書いたように*3過去への時間旅行はなんらかの成約を設けないとどうしてもタイムパラドクスに引っかかる。これを避ける手は無いか?(1)と(2)が同時に成り立ち、この映画が成立するような時間の解釈はないか?綾瀬はるかの巨ぬうを救う方法はないか?*4あったよ、それがこれだ。

まず、歴史1には人間の彼女も機械の彼女もいない。この歴史上で主人公は機械の彼女を作る。それを過去の(2)の時点に送り込むことによって歴史の分岐が起きる。それが歴史2だ。この歴史2には(1)は無く、人間の彼女がいないことがポイントだ。この歴史の延長上でエピローグAとエピローグBが起こる。ここで人間の彼女の登場だ。人間の彼女は主人公と機械の彼女の歴史を知ることになるが、そこには(1)が無いので矛盾しない。この人間の彼女が(1)に行く。
すると(1)において歴史の干渉があったので分岐が起きる。つまり、映画が始まってから人間の彼女が現われるまでが、どこからも干渉されてない歴史1。つぎに(1)で人間の彼女が現われることによって、歴史は1から2を飛び越して3に移る。歴史2を生きてきた人間の彼女が干渉をしたからだ。この歴史3においては(2)で機械の彼女が現われるのは歴史上の事実になっている。よって、ここでは分岐は起きない。また、人間の彼女は歴史3には影響を与えてないので、歴史3は歴史2とまったく同じだ。この歴史3の中では映画のラストシーンも無理なく説明がつく。以上をまとめると、人間の彼女がたどった多宇宙の歴史時間を、主人公の実時間軸に沿って整理しなおしたのがこの映画だと言える。

  1.プロローグ:歴史1→(1)→歴史3

  2.本編:歴史3

  3.エピローグA:歴史3または人間の彼女の回想としての歴史2

  4.エピローグB:人間の彼女の回想としての歴史2。彼女の実時間ではこの後(1)に戻る

  5.ラストシーン:彼女の実時間で(1)の後になる歴史3に新たな干渉が起こって発生した歴史4

これがこの映画の時間旅行を多宇宙解釈によって説明する唯一の方法だ。だが、人間の彼女と機械の彼女が瓜二つである理由は説明ができない。歴史1の主人公が(1)で会った彼女に似せて機械の彼女を作ったことにするとタイムパラドクスに引っかかるのだ。それは偶然の一致ということにして欲しい。こんだけ新しい宇宙を作ったらそういうことも起こるだろう。ああ、疲れた。これでも細かい矛盾はありそうだが、もういいよ。フランス語講座のビデオを見なくっちゃ

*1:なんで?つうかバカ?

*2:キモイだけだが

*3:http://d.hatena.ne.jp/M14/20070826

*4:べつにタイムパラドクスがあっても巨ぬうには影響ない