共産党志位氏、元号法廃止を主張

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共産党志位和夫委員長は28日の記者会見で、天皇一代に一つの元号とする「一世一元」制を定めた元号法の廃止を引き続き主張していく考えを示した。「元号は、時をも君主が支配するとの考えからきている。国民主権の原則になじまないと考えている」と述べた。

私自身は、元号は干支みたいな位置づけにして公文書では用いないのがいいと思っている。かといってこのオッサンが主張するように廃止にする必要はないとも思っている。過去に記事にしたが西暦なんか思いっきりキリスト教じゃないか。仏教やイスラム教の人にこれを強要するのは信教の自由に反しているだろう。そもそも元号を見るたびに天皇陛下を想う人がどのくらいいるよ。そんなことを言うなら宗教色も政治色も無い一年の数え方をオッサンが考えろよと。こう主張するからにはオッサンの党の機関誌には元号は使ってないんだろうな。

共産党は機関紙「しんぶん赤旗」で西暦と元号を併記するなど、元号の慣習的な使用は認める。一方、法律による強制的な使用に反対する立場をとってきた。

使ってんじゃん! 強制的な使用を反対するのと元号を廃止するのは意味が違う。いまでも元号と西暦どちらでも良い、または西暦一本の書類って多いぞ。「国民主権の原則になじまない」とか大上段に構えるのではなく、あくまで利便性の観点から役所の書類を西暦にした方がみんなが幸せになると思う。

同じような話が「同性婚」。原則論で突き詰めると憲法改正に行き着いてしまう。その議論はするべきだと思うが、たとえばただの同居人っているよね。ルームシェアをして家賃を折半したり、家事を分担している人。べつに結婚しようとは思ってなくて、愛情も無い。ベッドを共にしたことも、一緒にお風呂に入ったことも無い。ただ、肉親とは疎遠になっていてその人のことをいちばんよく知っているのは肉親よりも同居人。手術の是非の判断など遠くの肉親より同居人の方が正しい判断ができる。遺産も分けてあげてもいい。だが、これを法制化すると孤独な資産家を騙して同居人として登録させる悪い奴は出てくるかもしれない。でもそれは同性婚だって同じでしょ。いや、通常の婚姻だって同じことが起こる。同性婚を認めて欲しいという人は、「私たちは愛し合っているのだから法的に夫婦と認めて欲しい」という人と、「実務的な利便性のために夫婦と同じ権利が欲しい」という人がいるのではないか? 前者は歴史・倫理・宗教が関係するが、まずは後者の法制化からやったらどうかと思う。だがこの話になると「たしかに親(子)には数十年会っていない。でも遺産を見ず知らずの人に持って行かれるのは我慢がならない」という人がいると思う。そもそも数十年会っていないならDNAだけのつながりなんか関係ないと思うのだが...