想像して欲しい。あなたが北川景子と同年代の女性だったとする。しかも北川景子と友だちだったとする。これはかなり幸せなことだ。年に1回くらいは会えるかもしれない。生景子が見られて、おしゃべりもできて、「やだー、景子ったら」とか言って北川景子の肩や腿に触れることもできる。北川景子は金に執着してなさそうなのでおごってもらえるかもしれない。焼肉とカラオケとラーメン餃子のぜんぶだ。そうだ、北川景子の歌も聴けるのだ。アニソンね。頼めば生桜吹雪だって歌ってくれるだろう*1。北川景子はいい奴なのだ。あと、いろいろ贈り物があるかもしれない。宣伝用のストラップとかクリアファイルとか*2。なにより会社で自慢ができる。自分は北川景子と友だちなのだと*3。たとえば中学校の同級生だったりしたら、1度くらいは北川景子が絵の具の白を切らして貸してあげたことがあるかもしれない。もうそれだけで「いまの北川景子があるのは自分のおかげ」くらい言っちゃうかもしれない。少なくとも私は絶対に言う。
だが良いことばかりではない。その代償として大きなリスクがある。自分の人生にとって致命的な傷になるかもしれない。それは