「ストロベリーナイト」(中編)

札幌に引っ越してからのことはシリーズ「北の国から1998」に書いたので繰り返さない。もうすっかり馴染んだ2000年の12月、札幌への異動が告げられたのと同じような唐突さで本社への辞令が出た。いつかは戻るのだろうとは思ってたが、その反面、北海道での日々が永遠に続いて欲しいと思っていたので、ちっともうれしくなかったし、むしろ悲しかった。
家に帰ってから女房と娘にそのことを告げる。もしろん二人ともショックだ。とくに娘は小学5年生。もうすぐ長い冬休みで*1、短い3学期が終われば6年生。あと1年と少しで卒業なのである。わざわざ最後の1年を別の小学校で過ごすのか。それは可哀想すぎるのではないか。「いいよ、べつに・・・」個人差はあるのだろうが、ひとりっ子の場合、親と子どもの対立軸において自分を見てないように思う。札幌に来るときも、子どもなりに思うところはあっただろうが、泣き言も恨み言も言わない。今回もそうだ。むしろ、怒ってくれた方が、泣いてくれた方が親としては楽だ。娘が聞き分けのよい子でいようとか、いい子でいようと思っているのとは違う。小さいころから大人である両親に対して、子どもである自分を意識してないというか、子どもの特権を利用する知恵がない。父と母と自分を等価に見ているように思える。
とはいっても12月の引越はあまりにもあわただしい。私が一人で先に行って、せめて3学期が終わってから女房と娘が引っ越してくることに決めた。担任の先生だけには女房が6年生になる前に転校させることを連絡した。その数日後である。娘が休み時間に友だちとふざけていたら急に泣き出したらしい。いっしょにいた友だち、とくに男の子は焦った。なにか娘を泣かすようなことをしてしまったのかと。そこに担任の先生が入ってきた。どうしたのと娘に聞くと「こんな楽しい時間がもう終わりなんだと思ったら急に悲しくなっちゃって・・・」。担任の男性教師以外には娘の転校のことを誰も知らない。
先生はそこでこう言うべきだったのだ。「そうか、でも向こうの学校でもすぐに友だちができるよ。残った3か月、いい思い出をたくさん作ろうね」と。ところが、この担任、明らかに青春ドラマや金八に心酔して教師になった節がある。そこでよせばいいのにこう言った。「ようし、全員、席に着け!」よせ、なにをしようとしている。静まりかえった教室。娘のむせび泣きだけが聞こえる。「じつは○ちゃんが、転校することになりました」タイミングが良すぎ、舞台設定が整いすぎ。相手は純朴な北海道の小学生。こんなことをやっていいのはドラマの中だけだ。教室は泣き叫ぶ女の子、怒号をあげる男の子、パニックになった。
その話を夜に聞いた私。腹はすぐに決まった。「いいよ、こっちの小学校を卒業しなよ。みんなといっしょに修学旅行に行きなよ。その方がいい。うん、ぜったいにいいよ」かくして私は1年間の逆単身赴任をすることになった
(つづく)*2

*1:北海道の冬休みは1か月ある。その分、夏休みが短い

*2:いつになったら本の話になるの?