北川景子「大女優への道」−真夏のオリオン−

行ってきたよ、会社帰りのレイトショーに。市川コルトンプラザで21時15分開始の回。客は15人くらい。終了が23時を過ぎる最終回ならこんなもんでしょう。その前に見た映画が観客が毎回5人の華子様の映画だったから、自分が座っている列にほかの人がいるのが新鮮だったよ*1。ほとんどが玉木めあての女性か、その女性にねだられて観に来たカップルだった。いいんだよ、これで玉木ファンの5%くらいが北川景子に興味を持ってくれれば、また一歩、野望に近づくというもの。
先に順不同でポイントを書いておくが

  ・北川景子の出番は少ないが、その割においしい役

  ・北川景子のセリフはあいかわらず

  ・戦闘シーンの迫力不足は日本映画だからしかたない

  ・玉木は飄々とした主人公にピッタリのはまり役

  ・亀吉がこれまた出番は少ないがけっこう重要な役で出ていた

  ・あと30分長く作ることができたら、その予算があれば...惜しい

  ・北川景子の戦中メークが恐ろしく似合わない

亡国のイージス」や「終戦のローレライ」の作者、福井晴敏の脚本ということでかなり期待をしていたのだが、期待が大きかった分、ちょっと残念。全体的に物語の堀が浅く、それぞれのエピソードで物足りなさを感じる。だが、そこをいちいち描いていたら3時間近い超大作になってしまうので、それだけの予算がなかったのだろう。だが、それは福井氏の過去の小説を読んでいる私が思うだけかもしれないので、ストーリー自体は福井氏らしい男のスピリッツを感じる。この映画で玉木が演じる艦長も、「終戦のローレライ」の登場人物も、この時代にこういう考え方をする人がいるわけないだろうという点にリアリティが無いのだが、舞台を太平洋戦争にして、そこに現代的な視点を持ち込むことが福井氏の持ち味。この手法は司馬遼太郎と同じ。なので、この映画、

  泣ける

玉木が演じる艦長の真っ直ぐで無垢な心意気に泣ける。人や動物を殺して観客を泣かせるのは簡単だが、自分の理想に愚直なまでに正直であろうとする生き様で観客を泣かせるのは難しいぞ。
冒頭でスーツ姿の北川景子が出てきて、潜水艦の乗組員だった老人に話を聞きに行く。この映画はその老人の回想という形になっている。北川景子のセリフがあいかわらずだ。いいのだ、北川景子は10年の計、20年の計で大女優になるのだから。だが、華子様の映画を見た後でこの映画を見ると、北川景子って、姿勢がすごくきれい。立ち姿、歩く姿、ベンチに座る姿勢が美しい。うー、やはり華子様はここが今後の課題だな。しかたないよ、北川景子は大女優をめざす映画俳優、華子様は大女優を母に持つテレビタレント。
映画の本編に入ると北川景子の二役で彼女の祖母にあたる女性が出てくる。この髪型とメークが恐ろしく似合わないのだが、もう少しなんとかならなかったのか。その旧北川景子が玉木に渡した楽譜とそこに書かれた詩が、映画のところどころ、そしてラストで重要な意味を持つ。残念なのが、北川景子が玉木の孫であることが冒頭で明かされてしまうこと。つまり、玉木は戦死しないことが観客にわかってしまうわけだ。映画の「Uボート」みたいに最後に悲劇的な結末が待っているという心配をしないでよい。ここは最後まで隠した方がよかったんじゃないか。エピローグで老人に「で、あなたは艦長とどういうご関係なのですか?」「私の祖父です」「おお・・・涙」とでもしたほうが良かったんじゃないかな。
海上や海底のシーンの迫力不足は日本映画だからしかたない。その点を差し引いても説明不足のシーンが多いのが残念。まあ、それも予算が無かったからということなのだろう。回天の乗組員に亀吉が出てきたのはびっくりした。死をもって国に殉じようとする狂気に近いまでの熱情が玉木と対極の存在として、出番は少ないが重要な役。ラストに見せ場があるのでファンの人は必見。こういう役は亀吉のはまり役なのだと再認識。対して、玉木のライバルである米国の艦長がイマイチ。もう少し俳優を選べなかったのか。この人はどういうキャラなのか最後までわからなかった。
と、残念な点はいくつかあるが、出番は少ないものの北川景子は重要な役どころのおいしい役。戦争映画ということで作品自体はまったく期待してなかったのだが、戦争は物語の借景になっているだけで、お国のためと叫ぶ登場人物はまったくいない。北川景子の好きな人、北川景子が嫌いでブサイクメークを見たい人、玉木のファンの人、玉木が少なくとも嫌いではない人はぜひ見にいこう。なにより、田峰田四や虎素方魔二ほど混んでないのがいい*2

*1:

*2:それはいいことなのか