「風が強く吹いている」(その2)

以前に「現代のミステリには合理性・必然性が求められる」と書いた。密室で人が死んでいる、猟奇的な殺人が行なわれる。これが横溝正史のころなら「自殺に見せかけるため」「捜査を攪乱させるため」「関係者を怯えさせるため」が理由になった。だが、現代のミステリのムーブメントである「新本格」はこれだけでは動機にならない。「なぜわざわざこんな手の込んだことをしたのか」に理由が無いと物語として成立しないのだ。一見、謎である密室は、そうせざるを得なかった犯人の事情とは何かという推理の突破口になるわけだ。
同じことがスポーツ小説にも求められているように思う。主人公をはじめとする登場人物をそこまで駆り立てるものは何か、主人公は何をモチベーションにして一心不乱の努力をするのか。そこに読者の共感が得られなければ主人公に共感ができない。共感ができなければ主人公が勝利したときの感動が生まれない。共感ができれば主人公を待っているものが敗北だったにせよ、それは勝利とわずかな差でしかないのだ。最近のスポーツ小説の傑作が、本作の三浦しをんや「DIVE!」「バッテリー」のあさのあつこらの女性作家の手になるものであることは偶然ではない。女性のが男性よりはるかに合理的なのだ。最後の最後で挫けそうになる意志を支えるものが「根性」であるにせよ、それはモチベーションにはなり得ないはずだ。
(つづく) *1

*1:短いなあ・・・