クロスファイア「ヒーローになることの必然性」(中編)

小説を読んで、それを映画化したものを見たとき、ほとんどは失望する。もちろん映像がきれいだったとか、特撮がすごいとか、女優さんが好きとか、側面での満足感はあるだろう。だが本筋において長編小説を忠実に映像化するにあたって2時間はあまりに短い。また小説を読んで自分なりのイメージしたものと実際の映像に差があると、勝手に想像していた自分のせいだとわかってはいても腹が立つ。その意味では実写版セーラームーンの存在を許せなかった人たちの気持ちも理解はしているつもりだ。また映画化するにあたって原作が改変されている場合は、ほとんどが原作を超えていない。
このクロスファイアーも主人公の設定は小説のままだが、ストーリーは大幅に改変されている。いや、ほぼオリジナルストーリーだ。どちらが好きかは好みの問題であるが、映画版では主人公が悪と戦う動機が明確になっている。そのため主人公の行動原理がわかりやすく小説より感情移入がしやすい。その点では映画版を作るにあたってのストーリーの改変が成功している希有な例といえるのではないか。もちろん原作のテイストが好きな人には、あまりにも主人公および全体の筋が単純すぎるという嫌いはあるだろう。
それでは、映画版において取り入れられた主人公の行動原理はなにか。それは「復讐」である。
(つづく)*1

*1:こんなマイナーな映画を熱く語っても誰もわからないだろ。次回で終わりますので我慢してください