「ストロベリーナイト」(後編の後編)

私が電車の中でマスクをしている必然性をわかってもらうために、ずいぶん遠回りをしたよ。別に

  「私は風邪の予防のために冬の間は電車の中でマスクをしている」

と1行書けば

  「そうなんだ。ふ〜ん」

で終わったような気もするがな。今年は北海道入殖10周年だったから思い出話をちょっと書いてみたかっただけよ。
やっと本の紹介に入れるが、この本、面白いか面白くないかと聞かれれば「まあ面白い」と答えるだろう。不必要に傷つけられた死体、まったく関連がわからない被害者、主人公の女性刑事、足を引っ張り合う警察内部の権力闘争。ミステリーのエッセンスは詰まっているのだが、現在の日本のミステリーの水準に照らし合わせると佳作というレベルにも届かないように思う。いちばんの問題点は人物造詣が薄っぺらいので、登場人物に思い入れができない。とくに主人公の描写が弱い。また、事件の鍵を握るサイコキラーが○と思わせて実は○だったという大仕掛けをしながら、その伏線が弱いので真実がわかったときの驚きがない。せっかく素敵なアイデアがちりばめてられているのに、それを膨らませる筆力が作者に無いのが残念だ。
主人公の女性刑事は中学生のとき刃物で刺された上にレイプをされたことがトラウマになっている。その回想シーン。幸い、命に別状は無かったが入院先の病院でまったく心を閉ざしてしまう。逃走した犯人を捕らえるため入れ代わり立ち代わり警官が来るが何も答えない。しばらくそっとしておきましょうとみんながあきらめたとき一人の女性刑事が来る。刑事は事件の話をいっさいせずに、一言も話さない彼女に一方的に世間話をして元気づけて帰る。幾日も幾日も。あるときは花を持ってきてあるときはクッキーを焼いてきて。このあたりの展開が実に陳腐なのである。どうせ彼女が刑事に心を開いてくんだろ。そうなのだ。やっと彼女に犯人と立ち向かう勇気が出たとき、逮捕しようとした女性刑事は犯人に刺殺されてしまう。このあたりもありがち。それで自分も刑事になったのね。と突っ込みを入れながら通勤電車の中で読んでいた。
その犯人の裁判で彼女は法廷に立つ。犯人の弁護士の反対尋問。弁護士はレイプではなく彼女が合意であったことを立証しようとする。そんなこと中学生の女の子に耐えられるものではない。だが彼女はがんばる。そしてついに切れる。あなたに家族はいないのか、自分の家族が同じ目に遭ったらあなたはそれが合意の上の事だったと言えるのか。裁判長が制止する声も耳に入らない。犯人に殺された女性刑事も合意の上なのか、警察の人の全員に死んでも文句ないだろうと本気で思っているのか。ついに係官が彼女を押さえつけるために飛び出してくる。だが彼らは途中で足を止めて傍聴席に目を向けている。何事かと彼女も後ろを振り返る。すると、同僚が殺された裁判の行方を見守るために傍聴席に詰めかけた何十人という刑事や警官が全員立ち上がり、彼女に向かって敬礼をしている...
まずい、まずいぞ。私はこういう話に弱いのだ。完全にツボに入った。泣きのツボに。もうだめだ、涙が止まらない。それも満員の都営大江戸線で。私はマスクを目元まで引き上げた。こういうときにマスクは便利だ*1

*1:やっとつながった。てか、無駄に長いよ