北川景子「西郷どん」レポ

史実からわかっていたが、先々週の14話のハッピー感から急転して15話は鬱々展開。西郷隆盛の49年間の生涯、浮き沈みがありすぎ。Wikiで見てみてよ。14話では

  篤姫  将軍家定と心が通い合うようになる

  篤姫  つぎの将軍は慶喜にすると家定に言わせる

  西郷  いやがる慶喜に将軍になることを決心させる

これが家定の死と井伊直弼の台頭ですべてがパア。さらに島津斉彬も死んじゃうという。しかし家定も斉彬も死んだ後、篤姫はよく大奥で権力を維持できたものだな。15話のレポの代わりに、14話での北川景子の演技を見てみたい。新しいドラマが始まるたびにハラハラしながら見ていた北川景子の演技だが、よくぞここまでと思ったシーンがある。2回目に登場するシーン。幾島と篤姫のセリフを読めばどこのシーンかすぐわかると思う。

  幾島「建白書やなんて、なにをお考えあそばしますのやろお殿様は。ああ、今度ばっかりは私にもわかりません」

  篤姫「もしや私がいまだに上様に慶喜様のことを話せておらぬことにしびれを切らされてのではなかろうか」

このシーン、フレームの中央は篤姫。その前を幾島が上のセリフを言いながら画面に向かって右から左、左から右に歩く。本来ならセリフを話して歩いている幾島をカメラが追うべきところを、カメラはずっと篤姫で固定。北川景子はセリフが無いにもかかわらず画面に映っていなければならない。しかも座っているので動かせるのは上半身だけ。これが現代劇なら頭を抱えでもするところだが、時代劇なので手は動かない。動かせるのは首だけ。すごく難しいシーンだと思う。

     

     (スタート)

     

     幾島「建白書やなんて、なにをお考えあそばしますのやろお殿様は」

     

     幾島「ああ、今度ばっかりは私にもわかりません」

     

     篤姫「もしや」

     

     篤姫「私がいまだに上様に慶喜様のことを話せておらぬことに」

     

     篤姫「しびれを切らされてのではなかろうか」

うう、キャプチャーがうまく取れなかったよ。実際は上の3枚の間に微妙な変化がある。録画がある人はぜひここのシーンを見直してくれ。顔の表情や上半身の動きを細かく変えて画面が単調にならないようにしている。そう、演技が難しいのはセリフがあるときよりないときなんだよね。金を払って映画館に入ったものの、重要な役が下手くそな役者だとがっかりするのが、上のようなシーンで遠い目をして静止状態なんだよね。もちろん演出家の腕が良いのはあるだろうが、ここは秒単位の話なので役者の力量によるところが大きいと思う。いやほんと、ずいぶん時間はかかったが、よくぞここまで役者として成長したと思う。でもそろそろ篤姫の出番はしばらく無くなるんだよね...