ヤバいは現代の「かなし」だった

旺文社全訳古語辞典 第五版

先日、同じ年の友人と話をしているとき、彼が「ら抜き言葉は許せない!」というので「日本語の変化のうねりなので止められないでしょう」と言った。

(受動)シマウマがライオンに食べられた
(可能)嫌いだったピーマンが大人になったら食べられた

「食べられた」がどっちの意味かは文脈から判断するしかない。だが「ら抜き言葉」を使うと

(受動)シマウマがライオンに食べられた
(可能)嫌いだったピーマンが大人になったら食べれた

文脈に寄らずに意味が決まるというある種の合理性がある。ただ私は可能の方の「食べられた」はめったに使わず「食べることができた」にしているかな。彼はほかにも「大丈夫です」、「こちらになります」、「ふつうに」、「やばい」に腹を立てていたがお互いに老人なのでしかたないのだ。

家に帰ってから「やばい」についてちょっと考えてみた。現在では実に多様な意味を持っている。この記事によると

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良い意味にも悪い意味にも使うわけだ。これに対して「なんでもヤバいで片付ける」とか「ボキャブラリが貧困だ」と言われるわけだが、私は何かに似ていると思った。なんだろう...そうだ、古文の「かなし」だ。学研全訳古語辞典によると

 (一)【愛し】
  ①しみじみとかわいい。いとしい。
  ②身にしみておもしろい。すばらしい。心が引かれる。
 (二)【悲し・哀し】
  ①切なく悲しい。
  ②ふびんだ。かわいそうだ。
  ③くやしい。残念だ。しゃくだ。
  ④貧しい。生活が苦しい。

「かなし」は「愛しい」と「悲しい」の両方の意味に使われる。前者の使い方で現代でも残っているのは「君はなにがかなしくてこんなことをしたのか」。この「かなしくて」は「悲しくて」ではなく「うれしくて」とか「面白くて」だよね。「かなし」は喜怒哀楽の感情ではなく、その奥にある「心が動かされる状態」を表わす言葉だと古文の授業で習った記憶がある。「かなし」は心の深層を表現する言葉から、心の表層を表わす言葉になって「悲しい」だけの意味になった。「やばい」はもともとは心の表層を表わす「危ない」だったのが、心のもっと深い部分の感情を表わすようになったのではないか。上の図で「やばい」の意味として「あやしい」、「びっくりしている」、「おもしろい」、「楽しい」が上がっているが、いろいろな意味を持っているのではなく、まずは心が動かされる「やばい」心理があり、そこから浮かび上がってくる表層的な感情が怪しかったり楽しかったりするわけだ。この学説、私は著作権を放棄するので、お子さんの自由研究や卒業論文に使ってくれてかまわない。なかなかやばい説だろ。