積ん読

新しい概念や新しいトレンドが出てきたとき。それが何かの商売に結びついているときは先に言葉が作られ、あとから中身が付いてくる。これが商売に結びついてないとき、つまりその言葉が普及しても、すぐには誰の懐も潤わないときがある。そのとき、ある現象を見て思うこと、あるいは特定の傾向の人々を見て思うことが自分の中にあるイメージとして定着するが、それを表わす言葉がない。ある日、突然になにかの言葉を目にして「ああ、これはこういう言葉で表現するのか」とか「なるほど、今日からはこう言えばいいのね」と思う。便利になる反面、言葉が生まれることでそれが差別につながることもあるだろう。でもそれは言葉が悪いのではなく、差別をしようとする性根が悪いのであって、それを糾弾するためにも言葉は大切だ。そんなことを思ったのがこの記事。

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海外「日本の概念に救われた!」 国際語となった『積ん読』の驚くべき効能に外国人が歓喜

購入するなどして手に入れた書籍を読む事なく、自宅で積んだままにしている状態を意味する「積ん読/積読」。日本には遅くとも明治時代から存在する言葉ですが、近年はBBCやCNN、ニューヨーク・タイムズ紙など、海外の大手メディアでも続々と取り上げられた事により、そのままTsundokuで通じる国際語になりつつあります。基本的にはユーモアに富んだ言葉として紹介されていましたが、アメリカのネットメディア「Big Think」は、その効能に迫った特集記事を配信しています。
(中略)
そして最後に、「読まなくては」と思わせてくれる事自体が、積ん読の価値だという一文で記事はまとめられています。積ん読に罪悪感を覚える人はかなり多いようで、この記事に救われる外国人が続出していました。

まさか「TSUNDOKU」が国際語になっているとはなあ。この記事の引用元では

  • 読まずに積んだ状態にされた本はまだ知らない物事があるという事を常に思い出させてくれる
  • 多くの蔵書がある家庭で育った子どもは大人になってから識字能力、計算能力、情報通信技術能力が向上する
  • あなたが読んでいない本はすべてあなたが無知である事の表れです。しかし、自分がどれほど無知であるかを知っていれば多くの人々より遥かに先にいるのです

とTSUNDOKUの効能が紹介されているが、そこまで行かなくても「読んでない本の山がどんどん高くなる状態に焦燥感や罪悪感を感じているのは自分だけではない」ことがわかるだけで心の平安が訪れた外国人が多いのだろう。外国からのコメントが

  • 俺の状況を一言で表現出来る日本語があったかw
  • 僕は今気分が良いよ。ツンドクという日本の概念が出現したおかげで、罪悪感が吹っ飛んで救われた気がする!
  • そう、そうなんだよ。ようやく罪悪感なしにツンドクを楽しめる
  • この日本語は私の人生そのものを表してくれている
  • 私もツンドクの実践者。ちなみに使いきれないほどの画材も溜め込んじゃうんだけど、それを表現する日本語はないの?
  • これはレコードやCDにも言えるんだろうか?
  • これでさらに多くの本を買う言い訳が出来た
  • 日本のライフスタイルの中に、この愛すべき「ツンドク」の名があるのは素敵な事だね。これは生き甲斐とかにつながる事だから

と、多くの人を救っている。救っているのか、蔵書地獄に誘っているのかはよくわからないが。TSUNDOKUの効能は「膨大な本をいつも見ている」のが前提だと思う。私のようにKindleの未読が大量にある人にこの効果はやってこない。Kindleの電源を入れると既読率が表示されればいいのか。でも私は著作権が切れてタダ同然になった夏目漱石全集、芥川龍之介全集、横光利一全集、江戸川乱歩全集も買っているので1%に満たない、ppmの表示もできないと意味がない機能かもしれない。あとセール期間中にとりあえず買っておいたSteam*1のゲームも馬鹿にならない数になっている。これを消化するのは本一冊を読むより時間がかかる。吉川英治の「宮本武蔵」全巻読破、下手すると「三国志」全巻読破より時間がかかる*2。罪悪感が薄いTSUNDOKUはヤベえな。

*1:PCゲームのダウンロード販売サイト

*2:三国志級は行き詰まっているので最後まで行けないことがほとんど