書ける・読める・意味がわかる

娘の病院に、ドラマ「TOKYOMER」のミンさんのようなベトナム人の看護士がいる。まだ新人だが、さすがベトナムからわざわざ来ただけあって相当にできる子らしい。そのミンさん(仮名)が「これはなんて読むのですか?」と聞いた。

  流涎

私は初めて見た熟語だが、看護士用語なので看護士なら誰でも知っているそうだ。だが娘をはじめ、まわりにいた日本人の看護士の誰も自信を持って読み方を言えない。意味はわかるが、自分の口で発音したことがない。

コミュニケーションが電話とメールで用が済むようになると、名前と住所以外に漢字を書く機会がどんどん減る。そのうち、「漢字は読むことができれば、書ける必要はない」、そんな世の中になると以前に書いた。だが話し言葉に出てこないような熟語、文章の中だけに出てきてそれを言うことはないような熟語は読める必要さえないのだ。そう考えると「蒙昧」、「慚愧」、「睥睨」あたりも、文中にあれば意味はわかるが、この熟語を会話の中で使うことはないので読める必要はないのだ。「漢字の読み書き」と言うが、「読む」には二通りあって「発音できる」と「意味がわかる」。優先度だと

  意味がわかる>読める>書ける

これは表意文字を使う言語の特徴だよね。英語のように表音文字の言語でもあるのかな。この単語の意味はわかるが発音がわからないとか。そもそも英語って表音文字といいながら文字の並び方、つまり単語によって文字の読み方が変わるよね。その点では日本語のひらがなやカタカナの方は完全な表音文字だ。この問題、意外と奥が深い。本一冊とは言わないが、一章を書けるくらいのテーマだ。それをベトナム人に教わるとは。