年末映画まつり「そして、バトンは渡された」「ラストナイト・イン・ソーホー」

家族が小旅行に行き、私は別の予定が入っていて同行を拒否したので映画に行けたよ。

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主演は娘の永野芽郁、3番目の父親の田中圭、2番目の母親の石原さとみ。もう田中圭はいいよ。何を見ても出てんじゃん。石原さとみもわざわざ映画で見る必要があるか? すごく低いモチベーションで観に行ったのだが、やられた。参りました。永野芽郁はあいかわらず、というかさらに演技に磨きがかかって立派。あと永野芽郁の子ども時代の子役がまさに「天才子役」。この「天才子役」はたくさんいるのに「天才俳優」はほとんどいないので、天才子役は大人になるとふつうの俳優になってしまうのだと思う。問題は石原さとみ。原作は読んでいたのだが、例によって細部を忘れている。石原さとみが出てきたとき「出たよ、いつもの石原さとみだよ」と食傷気味の石原さとみだった。だがこの「いつもの石原さとみ」が巧妙な仕掛けになっている。観客は誰でも知っている「いつもの石原さとみ」という先入観が、ラスト30分で明かされる真相に対してのミスディレクションになっている。そういうことか、この役は石原さとみじゃないとダメなんだ。といってもラストで豹変するわけではなくて、あいかわらずいつもの石原さとみなのだが、真相がわかってから見る石原さとみの表情が微妙に違って見えるのがこの人の役者としての実力なんだと思う。あとラストで再登場する1番目の父親の大森南朋と2番目の父親の市村正親がすごくいい。この二人の引き立て役とするなら田中圭もアリなのか。私の4つくらい前で見ていた女子高生の二人組はエンドロールが終わって場内が明るくなっても席から立たないで「ヤバい、恥ずかしくて外に出られない」、「泣きすぎて汗びっしょりになったよ」。いい物を見られて良かったね。

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以前に見たビデオでもそうだったが、ポスターを見るとアニヤ・テイラー=ジョイが主役のように思えるけど、主役はその上の人だから。服飾デザイナーになるために田舎からロンドンに出てきた主人公だが、派手すぎるクラスメイトに馴染めず寮を出て安いアパートで一人暮らしを始める。「見える」家系の主人公、昔このアパートでなにかがあったらしく60年代に生きていた一人の女性と夢の中でシンクロする...ミステリーなのかホラーなのかジャンル分けが難しい映画だが、なにより60年代の原色の夜景やファッションが美しい。ラストにサプライズがあり、これをサプライズたらしめているのが主人公が最後に見た夢。だがこれはミスディレクションというより完全な嘘。これがミステリーなら反則だが、もともとそういう映画ではないので良いのだろう。論理的な整合性より60年代の夜景と二人の主人公を楽しむ映画なので合格。