あらためて死刑について考えてみた

友人と話しているときに死刑の是非の話題になって、彼は反対の立場。理由は「冤罪の可能性が捨てきれないから」。この「冤罪の可能性」は死刑に反対する理由にならないことはこの記事に書いた。

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そのときの話はそれで終わったのだが、先日に見た映画「教誨師」の影響もあって改めて死刑について考えてみた。私自身は賛成なのか反対なのかを。いままでは賛成派だったのだが自分が老境に入ってきてちょっと考えが変わった。いまの考えはこうだ。

二度と社会に戻してはならない人がいる

絶対に更正しない人がいる。将来、心理学的なアプローチか医学的な手段かはわからないが、人間の持つ基本的な倫理観を正すことができるようになるまでは、このカテゴリに属する人を社会に戻してはならない。それが実現できれば死刑でも終身刑でもいい。ではどちらの刑にするかは国の社会制度と時代背景を考慮して決めるべきだと思う。これからの我が国を考えると終身刑は社会的な公平性を欠くように思う。近い将来、年金制度がいまの水準を保てなくなる。さらに社会保険制度も難しくなると思う。終身刑というのは「寿命が来るまで生かしておかなければならない」ことでもあるので、自由は大幅に制限されるものの最低限の衣食住と医療は施される。介護が必要になったら最低限の介護も受けられるはず。とくに医療と介護だが、終身刑の受刑者と同じかそれ以上の医療と介護を国民が誰でも受けられるなら終身刑でもいい。だがそれが無理なら倫理観が壊れた人を社会に戻さない方法は死刑以外には無いのでないだろうか。結論として、この議論は生産人口と非生産人口のバランスが一定水準になる50年後くらいまでは保留で、現在の死刑制度を継続。もちろんメタンハイドレードが実用化されて社会保障制度の維持に目処が立ったら議論を始めても良いと思う。これが私の考えだがどうだろう。