思考実験

コナンに映画、大ヒットらしいな。たった一つの真実見抜く、コナン君のようにはいかないまでも真実はなんだろう、どこに真実があるのだろうという態度はいつも持っていたい。だが最近の世の中を見ていると真実がどっちにあるかなんて関係ない。よりエキサイティングになる方を先に結論付け、論理も根拠もないのに騒ぎ立てる。そこに自称評論家*1、コメンテーター、タレントがテレビではやし立て視聴者は「根拠はよくわからないが坂上さんがそう言ってるからそうなんだろう」ってね。せめて小中学生の諸君はコナン君を見習って欲しい。真実を追究することは命をかけるに値することなのだよ。
ここでちょっと思考実験をしたい。いま話題になっているあの大学のあのスポーツのことだ。思い切り思考の幅を広げてあらゆる可能性を吟味すると私はつぎのケースを考えた。

【ケース1:あの監督とコーチが狂人だったとき】これはいまテレビで言っているストーリーと同じ。なにしろ狂人がすることなので我々には理解できないし、彼らの思考に近づくことさえできない。ライバルチームの司令塔が試合に出られないような大怪我をさせるために自チームの選手に命令する。試合中のラフプレーでは足りない。それでは致命傷を負わせられない可能性がある。相手がボールを持っていないときがいい。それなら油断をしているので確実に仕留められる...な、こんなことを考えるのは狂人だけだろ。密室ならともかく何千人が見ているんだぜ。中にはビデオを撮っている人もいるかもしれない。いや、絶対にいるだろう。でも狂人なのでそこまでは考えない。

【ケース2:あの監督とコーチは狂人ではない】狂人ではないなら、人間としての基本的な想像力や知力が我々と差がないとしたら、試合に出すことを条件に自チームの選手にあの行為をさせることの、あの監督にとってのメリットは何だ? 相手がボールを持っていないなら誰もアクシデントだとは思わない。いくらボールに注目をしているとはいっても、あれだけの観客がいるなら見ていた人はいる。当然に追求される。問い詰められたら確実に監督に命令されたと言う。いくら監督が否定をしても分が悪いのは狂人でないなら想像がつく。こう考えると監督側のメリットが見つからないのだ。「よし、ぶっ潰してこい!」はスポーツだとよく言うだろ。ビジネスでも、ゲームでも、およそ勝負事ではよく使う言葉だ。実際に言ったのはそのくらいだが、先に本人が記者会見をやっちゃった。いやいや、俺はそんなことまで言ってないよ。でも老人と青年では世間は青年を信じる。おまえが興奮して相手にタックルしちゃっただけだろ。でもいまさら何を言っても弁解に聞こえる。完全に俺が悪者になってんじゃん。

【ケース3:あのスポーツではあんなことは日常茶飯事】我々があのスポーツのことをよく知らないだけで、ボールを持ってない選手にタックルをするのは頻繁に起こるアクシデント。そういうこともある前提で普段から注意を怠らない。まさか怪我をするとは監督も選手も思わなかった。

別に私は青年を疑っているわけではないよ。ただ、まずやらなければならないのはわかりやすい、ワイドショーネタになるストーリーを固めることではなくて、真実に近づく努力をすることではないのか。どちらが真実かはわからなくても、少なくともこのケースは無いとわかれば、それは真実に一歩近づいたことだ。その上でそれぞれのケースで不明な点を解き明かせばよい。怪我をした選手は復帰をしたらしい。再起不能とかにならなくて良かった。同じことが国会でも起こっていて、こちらは1年以上もやっていていつ終わるかわからない。助けて、コナン君

*1:評論家は誰でもなれるので全員が自称か