最近、気になる発言がある。スタバでコーヒーを買うでしょ。注文をして金を払って「青いランプの下」で待つわけだ。ふつうの店員は「ダブルトールラテです。ありがとうございました」なのだが、一人だけこう言う店員がいる。
お待ちいただきありがとうございます。ダブルトールラテです。
ここでの「お待ちいただきありがとうございます」に違和感がある。私は待つしかなかったわけだから「お待たせしました」とか「お待たせして申し訳ありません」なら良いが、お礼を言われるのはなにか変だ。これが注文のときなら良いような感じがする。「お待ちいただきありがとうございます。いつものダブルトールラテでよろしいですか?」とかね。どちらも私の行動は変わらない。注文の列に並ぶか、受け取りの列に並ぶかの違いで、どちらも私は待っていたのだ。ところが前者の行動にお礼を言うのはアリ、後者の行動にお礼を言うのはナシ。おなじ行動なのに。
この2つの行動、行動は同じでも、その行動を起こす私の意思が違う。注文の列で待つのは、並ばなくても良いのだ。ファミマでコーヒーを買うとか、きょうはコーヒーを買わないとか選択ができる。その選択肢の中から私はスタバの列に並ぶ行動を選択したわけだ。ところが受け取りの列に並ぶことに私の意思はない。もう金を払っているし、店員は飲み物を作っているので待つ以外の行動は取れない。そこに私の自由意志は無いわけだ。だんだん見えてきた。お礼を言うのは私の行動に対してではなく、私の意思に対してなのだ。
ファミマに行くとか、きょうはコーヒーを買わないという選択もあるのに、
待つという行動を選んだあなたの意思に私は感謝します