病院に行ってきたよ

実は先月、女房の父親が急死して、今月に入ってやっと落ち着いたと思ったら私の母親が入院してしまった。ガンとかではないので命に別状はないのだが、いまの状態が好転しないと足の指の1本、最悪の場合は足首から下を切り落とさなければならない。若くて楽しいことも未来の希望もあるときは、死に至る病とか後遺症が残るような怪我でなければ耐えられる。だが年を取ってからの入院はつらいよなあ。当然、身体の耐用年数というものがあるのだから80年も生きていればガタが来る。それにしても、なぜ人間は静かに死ねないのだろう。楽しみがなくなったあとに、さらにつらいことが待っているのだろう。医学の進歩や予防医学の普及、栄養の向上で身体の耐用年数が飛躍的に伸びた。だが、それがそのまま人間の幸せになっているのかよくわからない。母親型の祖父は90才を過ぎてもテニスをするほど元気で104才まで生きたが、最後の7、8年はボケてしまい、身体が丈夫なだけにまわりは苦労をした。これからはフィジカル面での寿命はもっと伸びるのかもしれないが、身体と同じだけ脳を健康に維持する方法が見つかってない。変な表現だが、「落としどころ」ってどこなんだろうと思う。
話は変わって、将棋ではコンピューターが人間に勝てても、囲碁は無理と言われていたが、その囲碁のチャンピオンにコンピューターが勝ったとか。コンピューターと対戦したことがある将棋の棋士のインタビューを読んだことがあるが、実力はほぼ互角、人間のが少し強いかもしれない、だが人間は疲れてくる、そこがいちばんの敗因、と答えていた。なるほど、コンピューターは疲れないからな。でも囲碁で人間が機械に負けたことはそれほど嘆くことではないと思う。かけっこでは100年以上前から人間は機械に勝てなくなっているのだから、むしろその機械の力を人間の力として利用すればいいことだ。いまでの大喜利をやったら人間のが強いだろう。まあ、これもすぐにコンピューターが人間を追い越すかもしれない。人間を笑わせることが、人間より上手なコンピューター。それができれば岡村や木梨の芸人としての寿命も延びると思う