幼児の記憶

以前に悪夢ちゃんのレポのとき曾祖母の記憶の話をした*1。要約すると

  母方の曾祖母(ひいお婆さん)は私が小さいときに亡くなったので記憶がほとんどない。

  ただ一つだけ覚えているシーンがある。

  大きな和室の奥の方で曾祖母が寝ている。こっちにおいでと言われて私が布団の方へ行く。

  曾祖母は枕元にあった丸い缶からライオンのバターボールを一つ取り出して私にくれた。

  これは私が何才ごろのことだったのだろう、覚えているくらいだから4、5才のころだと思っていた。

  十数年前、父親の納骨のとき、同じ霊園にある曾祖母の墓に初めて行った。

  墓石に刻まれた享年を見たら私が2才のときに亡くなっていた

というものだ。これについて私の考えは、いまの私が2才の記憶に直接にアクセスできているわけではなく、このシーンを親が祖父母の話をするたびに、あるいはライオンのバターボールを見るたびに思い出す。これにより2才の記憶が4才の記憶にコピーされ、4才の記憶が7才の記憶にコピーされ、この繰り返しで現在に至っている。コピーするたびにビジョンは脚色され、テレビで見たシーンとか写真で見た風景と混ざり、たぶん2才の記憶とは細部が異なったものになっているように思う。
昨日、母親の家に弟夫婦と集まった。たまたまその霊園の話になり、私が上の話をした。

  私「でも初めてひいお婆ちゃんのお墓を見たときはびっくりしたよ」

  弟「なんで?」

  私「ひいお婆ちゃんの枕元に行ってバターボールをもらった記憶があるんだよ。てっきり4才か5才のころのことだと思ってたんだけど

    ひいお婆ちゃんのお墓を見たら僕が2才のときに死んでるんだ。だからあれは2才のときの記憶だったんだ」

  弟「すげえ、そんな小さいときのことを覚えているんだ!」

  母「ああ、そんなことあったわね。あなた(私)がはいはいしてお婆ちゃんとところに行ったわ」

  私「そうそう、はいはいしてね...え〜〜〜! はいはい?!」

  母「そう、歩く前よ」

  私「...もしかして僕は歩けるようになったのが遅くて2才になってたとか...」

  母「あなたはむしろ早かったわ。1才の誕生日には歩いてた」

ということは、私は1才より前に経験したことの記憶があるのか...上に書いた記憶がコピーされるという理屈*2なら、2才が1才になっても大きな差はないように思うかもしれない。だがこの差は大きい。2才なら上のシーンに「ひいお婆ちゃん ライオンのバターボール」というインデックスを付けて格納することができる。このインデックスにより後年どちらかのキーワードが出てきたときに脳内の検索が始まりあのシーンにアクセスすることができるわけだ。ところが1才より前だと向こうで寝ている人がひいお婆さんだという認識はなかったはずだし、もらったものがライオンのバターボールであることもわからなかったはずだ。そうすると、あのシーンにインデックスを付ける作業を私はもっと後で行なったわけだ。たぶん3才とか4才。その瞬間にただの絵画的なイメージに文脈が割り当てられアクセス可能な記憶になる。それには1才前に体験したイメージを3才とか4才まで保持していなければならない。そう考えると、これはかなりの幸運というか偶然に支配されたアクロバティックな瞬間だと思う。そしてほとんどの記憶はこの幸運に恵まれないで消えていく。それとも脳のメモリには書き込まれているのだがインデックスが付いてないので検索に引っかかって来ないだけなのだろうか。そもそもコンピュータのアナロジーで考えることが無意味なことなのだろうか。正月早々、体験した不思議な出来事であった

*1:http://d.hatena.ne.jp/M14/20121209

*2:これが正しいことなのかわからない