小松彩夏「祝・映画初主演」

昨日のコメント欄で教えていただいた情報。ありがとう、百日紅さん。私のブログはこのような善意の情報と、悪意さえ感じるパクリから成り立っている。さっそく調べてみた。「小松彩夏 初主演」で簡単に見つかる*1

  ある日、寺本家に送られて来た大きな荷物。中には、「肉を与えるな」という取扱説明書と拳銃、

  そして檻の中に怯えた様子の若い女がうずくまっていた。

  生気のない眼、おびただしい傷、帝王切開の痕――女は沙羅(さら/小松彩夏)。

  言葉も記憶も失い、ごくわずかな意識が残るだけの、人間を襲うことのない種類のゾンビだった。

  寺本(手塚とおる)は仕方なく沙羅を下僕として飼うことにする。

  寺本、そして寺本家で働く使用人や、町の人々は沙羅を忌々しく思い、邪険に扱う。

  日々繰り返される残酷な仕打ち 石を投げられ、ナイフを突き立てられ、使用人たちに弄ばれる。

  一方で、寺本の妻である志津子(冨樫真)と幼いひとり息子の健一は、

  困惑しながらも沙羅に人間のように接する。特に健一は、買ってもらったばかりのポラロイドで

  沙羅を撮ることに夢中になっていた。そんなある日、健一の身に悲劇が起こる。

  その日を境に、少しずつ人間味を増し艶やかになっていく沙羅。

  そんな沙羅に寺本は心奪われる。一方、健一の悲劇により心身ともに衰弱していく志津子。

  いつしか、人間のようなゾンビとゾンビのような人間となった二人に、

  あまりに悲しいクライマックスが待ち受ける――。

...この手があったか...同じ事務所のライバル、上野樹里吉高由里子仲里依紗。いや、もう背中が見えなくなってしまったのでライバルとさえ言えない。だが彼女たちにはこんな役はできないし、やる必要さえない。これはいい役ではないか。小松彩夏にぴったりだ。彼女を高校生のときから応援しているファンとしては汚れ役はやって欲しくないという気持ちはある。これはフィジカルには汚れ役だが、メンタルでは汚れ役でない。これは見に行きたい。小松彩夏の出演する映画で初めて見に行きたいと思う。たとえ単館上映のレイトショーのみでも見に行きたい。よおし、舞台挨拶も行っちゃうぞ。ブログを初めて来年末で10年。10年目にして初めて「小松彩夏に会いに行こう」のレポが書けるではないか。
ここで初めての映画の主演をするにあたって私から提言をしたい。私のマイナーアイドル予備軍*2小田あさ美西田奈津美さんは質問コーナーで「裸になる役があったらどうしますか?」の質問に「その役が私しかできないならやります」「話の流れで必要ならやります」と答えていた。小松彩夏を出すならここじゃないのか? 別に私は小松彩夏が見たくてとを言っているのではない。あと何年かしてつまらないグラビアでを出すくらいならここでを出しておいた方がいい、その方がも喜ぶと思いと言っているのだ。ここでを出すなら「私しかできない」し「話の流れで必要」である。小田あさ美西田奈津美さんなら迷わずを出す。小田あさ美は4年、西田奈津美さんは6年以上、水着のグラビアなんか撮影していなくてもだ。繰り返すが私は小松彩夏が見たくてと言っているのではないぞ。ここでを出しても「あーあ、小松彩夏、ついに脱いだよ」とは誰も思わない。ここはで勝負をするとき。脚本や演出の出来は知らんが、小松彩夏サイドもそれ相応のリスクと投資をするべきだと思い、それがであると私は考えるのだ。先週の匿名探偵を見てもわかるとおりを無理に隠すことによってかえって映像の不自然さを感じるのだ。制作側、演技をする側の作為を感じてしまう。それなら3行目あたりのシーンで自然にぺろっとが出た方が自然だし見ている方も映像の流れにつまづきがない。どうだろう、考えてみてはくれないだろうか。

*1:http://www.narinari.com/Nd/20121119697.html

*2:マイナーアイドルのそのまた予備軍なのね