記号崩壊−続・名前について考える

M142010-11-19

昨日は鱸さんとの定例会だったので、昨日の記事の変な名前のことを教えてあげた。今朝、メールが着て「中学生の娘の回りに変な読み方をする名前の子がいないか聞いてみました」といくつか送ってきてくれた。まずはこれ。

  樹英理

てっきり「いつき えり」さんだと思ったら、これで名前だと。でもこれは読めるね。なんで子どもにこういう名前を付けるかという親の心は読めないが、字は読める。「じゅえりー」だね。つぎはすごいぞ。

  天使

  空

  海

まずここまでで、この名前がダメな理由を言おう。天使は、日本だと森永のマークになっている赤ちゃんに羽根が生えたやつを思い浮かべるが本物は上の画像のようなオッサンだから。それと「空」はもともと「なにもない」という意味。だが、この名前のすごいのは読み方だ。「てんし」「そら」「うみ」でもすごいのだが

  天使 ・・・ えんじぇる

  空  ・・・ すかい

  海  ・・・ まりん

だと。役所も止めろよ、こんな読み方。結局、人名漢字さえ使っていれば読み方はなんでもいいのか? それなら「どんな名前にしようかなあ。美優はどうだろう。でも彩夏も捨てがたいな」と思ったら

  美優 ・・・ あやか

でもいいのか? これなら名前が二つ持てて2倍にお得だ。この英語読みの名前、昨日の不気味な名前より罪が重いと思う。「空」を「スカイ」と読ませるなら

  ΣπΩ ・・・ スカイ

でもいいわけだ。まあ、これは人名漢字に無いから受理されないだろうが、字が持っている「記号」としての機能を殺している。みんなが勝手な読み方をしたらもはや文字では無いのである。それは「スカイ」という音を彩る絵画、「空」という漢字はただのイラストになってしまうのだ。この子が大きくなってクラスの半数がこんな名前だったら、人名はもはや漢字だけでは表わしきれない、漢字と読み仮名がセットでなければ成立しないものになってしまう。昨日の「葵碧」だったら最初から読めないからまだいい。ところが読めてしまう名前の方が業が深い。

  「初めまして。本日はよろしくお願いします(名刺を渡す)」

  「ああ、山本百合(やまもと ゆり)さんですか」

  「いえ、やまもとリリーと読みます」

  「あら、そうですか。私も長谷川桜と書いてはせがわチェリーと読むんですよ」

伝統とか文化を守ろうという以前に不便だろ、こんな世の中。ああ、やだやだ