若者の車離れは誰のせいだ?

いきなり本題に入るが、別に私は車関係の仕事をしているわけでもなく、車が好きというわけでもない。ただ、ふと思っただけなのでいきなり本題に入るしかないのだ*1
まずは車に限らず10代、20代の人の消費動向が明らかに変わっている。これは服、音楽CD、映画、あらゆる娯楽産業に影響を与えている。娘が21才なので、これはよくわかる。とにかく金を使わない。なにか目的があって貯金をしているわけでもないのだ。まるで「消費は罪悪」という固定観念に縛られている。べつに親がそう教育したわけでもない。なにしろ親は浪費家の私なのだから。では私の娘だけがどういうわけかケチになってしまったのかというとそうでもなく、会社の20代の女性社員も金を使わない。食事は弁当、これといった趣味もない。この前、

  「M14さん、私はやっと自分の好きなことを見つけました! 給料の使い道を発見しました!」

  「おお! それはよかったな。これで日本の景気も好転するよ。で、なに?」

  「クロスワードパズルです。いまハマってます」

これではどんなにがんばっても月に5千円以上は使えないだろう。だが、彼女たちのせいではない。なにしろこの年代の子たちはバブルの崩壊後に生まれて、そこから日本はずっと不景気だったのだ。「戦争中は物がなかったよ」と昔の人は言う。なんとなく昭和20年より前は日本は長い間、戦争をしてたように思うかもしれないが、日米開戦から敗戦までたった4年なのだ。そのまえの日中戦争から敗戦までを数えても14年。ところがいまの20代の子は生まれてから成人するまでずっと不景気だったのだ。もちろん戦争中のように食うのに困ることはないし、銀座に孤児があふれかえっていることもない。だが、少なくとも当時の人たちは「戦争が終われば飯を腹一杯食える」とか「アメリカに勝てばきれいな服を着て遊びに行ける」という希望があったわけだ。江戸時代や室町時代は別にして、明治の開国以来、日本は20年間ずっと不景気だったことがない。つまり、いまの若者は近代日本にとって特異な存在なわけだ。
もちろんこの20年間、けっして悪い時代ではなかった。給料は上がらなかったが物価も上がらなかった。日本は依然として平和と安全が守られた世界に誇る法治国家でありつづけ、世界一の平均寿命の高さと乳幼児の死亡率の低さを誇った。経済成長はしないかわりに国内のインフラを整えた。変化がゆっくりなのでわかりにくいし、難を言ったらきりがないが、バリアフリーも確実に進んだ。だが、この20年間、大人たちは子どもに夢を語らなかった。もちろん、20年前から大人である私も罪を逃れられるものではない。
これは自動車メーカーにとって外部要因であろう。だが、自動車メーカーに責任はないのか? 私はたまたま車に興味がなく、給料を最初はオーディオ、つぎにパソコンに注ぎ込んだが、そのころの自動車は若者に夢を与えた。
     
117クーペ。「走る芸術品」だぞ。すごいだろ。
     
     
ジェミニセリカ。そして極めつけはこれだ。
     
「愛のスカイライン」。愛だぞ、愛。「ケンとメリーのスカイライン」だぞ。ケンとメリーって誰よ。なんでハーモニカ吹いてんの?

  ♪静かな緑の世界 ふたりのふたりの愛のスカイライン

もうどんな長いローンを組んでも買っちゃうだろう。ところがいまの自動車のCMは

  エコ

こんなもん、どこの若者が買うかよ。無理と無駄が若者の特権じゃないか。CO2上等! 地球温暖化なんかクソくらえ。リッター10kmも走る車なんかダサイ。まあ、当時もそこまでは言わなかったが、どの自動車メーカーもエコとファミリーで物心ついたときから子どもを洗脳してきた結果がいまの車離れだ。まるでこれを台風や中国かのように、外部要因として語る彼らの無責任さ、甘さ。しかたない、あと20年は我慢したまえ。今年から自動車で夢と愛を語れば、20年後はなんとかなるかもしれん。まずは来年はカーレンジャー2011でも放送してみようか。

*1:なんちゅう導入部だ