真面目に性を考える(前編)

おいおい、そこのキミ。いいんだよ、これは「M14の追憶」だよ。リンクのまちがいじゃない。私だってたまには真面目なことを書くんだよ。涼しくなったんだから。もともと考えていたことがあって、ただそれを1本の論考にするにはパズルのピースが足りなかった。それがあるきっかけで、そう木から落ちるリンゴを見たニュートンのように、風呂からあふれ出す水をみたアルキメデスのように、天上に昇る太陽と沈む月を見た星飛雄馬のように、突然、考えがまとまった。結論を先に書いておこう。

  女性はセ○クスに愛が必要。男はただやれればいい

なんちゅう結論かと思ったか? まあ、待ってくれ。私はここまで考えるのにけっこうな時間を要したのだよ。そしてこの命題は失恋の痛手から立ち直れない女性の福音となり、異性関係で不幸に陥る可能性のある多くの女性を救うことができると私は信じているんだよ。反論は自由だが、最後まで読んでから書いてくれ。
以前にもこの話題を少し書いたことがある。だがそのときは考えがまとまってなかった。そんな私に天啓が降りたのは家庭内のある諍いだった。まず登場人物の説明をしておこう。

  妻・・・ヤマト世代、第一次ガンダム世代の元アニメヲタク。結婚後はその道から離れる

  娘・・・腐女子。男にまったく縁がなくひたすらディープな世界に邁進する

娘の趣味について私が叱ったり非難したことは一度もない。だって、他人のことを言えるような自分ではないじゃないか。娘と私の間には、お互いの趣味を詮索しない点について暗黙の了解というか共闘ができている。さて、そんな娘なので同人誌とかボーイズラブのマンガを堂々と本棚に並べている。妻も娘の趣味についてはとくに意見をしない。私の趣味については、私がパーフェクトに秘匿をしている。もしかすると知ってて何も言わないのかもしれないが。まあ、どこにでもあるような普通の家庭だろ*1
それは1週間くらい前だった。妻が娘の部屋を掃除していたとき、ふと目に止まったその手のマンガを読んでみた。そして見事にハマった。そっちか? せめて韓流あたりにしてくれよ。これといった趣味のない妻、私としても妻がなにかに興味を持ってくれるのはありがたい。なるべく家庭内での私の存在を消したいのだ。だが妻は意外な行動に出た。

  妻「ねえねえ、これ面白いよ。読んでみな」

  私「な、な、なにを」

  娘「・・・・・」

  妻「ぜったい面白いって。読んでみなよ」

  私「よせ、そんなものを私の前に置くな」

  娘「・・・・・」

  妻「なんでよ」

  私「俺は娘が腐女子であることを叱ったり嫌悪したことはいままで一度もないだろ。

    これからも絶対にない」

  妻「だから?」

  私「君がそういう本を好きでも別に何も言わない。だから俺を巻き込むな」

  娘「そうだよ、お母さん」

このあたり、娘はヲタク道をわきまえている。自分の趣味や趣向は他人には理解してもらえない。だから自分が好きな物を人に勧めない。その反面、やっと巡り会った同好の士とだけは異様につるむ。これがヲタク道だ。

  妻「面白いって。そんなに毛嫌いすることないじゃない」

  私「するよ。女性同士を女性が気持ち悪いと思うのの150倍くらい、男は男同士が気持ち悪いんだ」

  妻「そうかな?」

  私「これは説明してもわからない。人間のDNAに書き込まれていることなんだ。たとえば...あ!...」

  妻「たとえば?」

  私「・・・・・いや、なんでもない」

そうか、そうだったのか。これでわかった。女性のが失恋の痛みが大きい理由が。女性の地位が上がっているようでいて、女性自らがそれを貶めているように見えてしかたない理由が。できちゃった婚が多い理由が。そうやって結婚した夫婦のごく一部は子どもを巻き込んだ不幸に陥る理由が。すべては「かんちがい」なんだ。そして、このかんちがいは思慮の至らなさから生じているのではなく、もっと深いところに原因があるのだ。
例をあげて説明しよう。男女が出会ってからセ○クスに至る過程はさまざまだが、もっともトラディショナルなパターンはこうだろう。

  1.二人だけで話をする

  2.会社や学校の帰りに二人だけで飲食をする

  3.休みの日にデートをする

  4.手をつないで歩く、キスをする

  5.相手に対する自分の気持ちを伝える

  6.お互いの家族に紹介する

  7.婚約、結納をする

  8.結婚をする

  9.セ○クスをする

いまどきこれだけの手順を踏んでセ○クスまで道のりを歩む人も少ないかもしれない。さらに「同棲をする」というステップが4以降のどこかに入ってくる人も多い。だが女性の気持ちからすると4より前に「セ○クスをする」は入ってこないのではないか? ステップ4において「手をつなぐ」からいきなり「セ○クスをする」まで幕の内弁当のごとく一晩で消化する人はいるかもしれないが、少なくともその瞬間においては相手の男性が好きであるはずだ。
ところが男性の場合はこの一連のステップとセ○クスはまったく無関係だ。1の前でもセ○クスはできる。一言で要約すれば

  男性は女性の年令、容姿が自分の許容範囲内であれば、誰とでもセ○クスできる

そこに愛とか相手への好意が存在している必要はまったくない。もっとわかりやすく言うと

  男性にとってセ○クスとは、ただの排泄行為、おしっこと同じである

ああ、書いちゃった。私の読者に女性がいたら「M14はなんてひどい奴だ。女性をそんな目で見ていたのか」と思うかもしれない。だがそうではない。おしっこだってどこでもしていいわけはないだろう。他人の家に行ったとき「トイレをお借りしてもいいですか?」と相手の了解を取るだろう。セ○クスだって相手の了解が必要だ。だって、それをしなかったら強姦だ。だが、相手との合意のもとに行なったとしても、またはその相手と結婚する意思を固めてたとしても、それは女性のように愛を確認するとか、愛情の表現の一形態ではない。ただの排泄行為である。
考えて見たまえ。男性にとってセ○クスに愛が必要だったら風俗産業は成立しないではないか。それと男性諸君は想像してみてくれ。もし自分が女だったら、自分にそっくりの男とセ○クスできるか? 私は無理だ。気持ち悪いし、だいいち汚い、臭い。相手に対するなんらかの思い入れがなければそんな行為はとても無理だ。ここまで読んだ先ほどの女性はこう言うかもしれない。「ひどい! じゃあ、愛と関係なく女性に『やらせろ』とあなたは言ってるのよね」。それは誤解だ。私の主張はその逆だ。

  あなたが必要とするコミットを男性がするまで、ぜったいに身体を許してはならない。

  なぜなら男にとってセ○クスとはおしっこと同じだからだ

つづきは後編で。お叱り待ってます

*1:違うんじゃないのか?