サイレント・マジョリティーを考える

大相撲の名古屋場所が始まったが、ご存じのようにNHKは生放送を中止した。これの理由の一つとしてNHKがあげているのが次の数字*1

  NHK広報局によると、名古屋場所の中継をめぐっては、

  5日までに電話やメールで1万2600件の意見がNHKに寄せられ、

  中継反対は68%、賛成は13%だった

私は仕事でこの手のアンケートを取ったり、社内の意見をまとめて関連部門に上申することがよくあるのだが、同僚によく注意するのが「サイレント・マジョリティとノイジー・マイノリティ」の問題。この言葉の由来や正しい用法はこのあたりを見て欲しい*2
関係者全員から半強制のアンケートを取ったり、関係部署を集めた公聴会で全員から意見を聞く場合は良い。ところが必ずしも全員が参加してない、または関係者の総意と見なしてだけのサンプルから取ってない意見は注意が必要である。手を挙げて意見を述べる、メールで送る、電話をする、ツイッターでつぶやく。これらの、意見を述べることに多少なりとも積極的な行動を伴う人は、YesかNoのどちらかに偏っていることが多い。
もちろん少数意見を無視して良いと言っているのではない。それを承知の上で、多数派、つまりより総意に近い意見を知りたいときは、こちらからそれなりの方法を使って能動的に意見を収集しなければならないと思う。前述のNHKの例だと、相撲の中継を楽しみにしているおじいちゃんやおばあちゃん(別に老人でなくてもいいのだが)の中で、わざわざNHKに電話をする人自体が少数派であると推測するのは難しくない。嘘だと思うなら、親戚や近所で相撲の生中継を毎回見ている人を探して、NHKに電話をしたか聞いてみるが良い。そして、「まあ、問題はあるけど、そういう人は出場をしてないから、いままでどおり中継してよ」という人はNHKにわざわざ電話をしない。この12,600件という数字は、無作為に選んだ人へのNHKからの電話なら説得力がある。だが、NHKはただ待っているだけで、向こうから来た電話なら12,600だろうが、126,000だろうが、すでに自分からNHKに電話をするという段階でバイアスがかかっているわけだ。しかし、そんなことがわからぬNHKではないだろう。許せないのはこれを言い訳に使う欺瞞だ。
掲示板やブログのコメントも同じだと思う。だから私なんか何を書かれてもだいじょうぶだよ。一晩泣いたら忘れちゃうもん*3。なので隣の国のスターがネットの中傷で自殺をしたニュースを聞くと本当に痛ましい。ノイジー・マイノリティの言葉に耳を傾けて死に旅立つ。その人を心から愛し応援している数十倍、数百倍のサイレント・マジョリティの存在を感じて欲しかった。なにしろ静かな物言わぬ多数派だからな。ゾイサイトなみに心を飛ばさないとわからないかもしれない。