年をとると愚痴っぽくなっていけねえや

ケーキは昨日の夜に食べちゃったから、きょうは普通の水曜日の夜だよ。クリスマスとまったく関係ないんだけど、私が就職したばっかりのころは、会社の中の連絡事項や相談って、その人のところに直接に行って話すか、電話をするかだったでしょ。いまはなんでも電子メールなんだよね。これで何が変わったかというと、以前ならフェイス・トウ・フェイス、相手の顔色を見ながら話をして、相手は相手でわからなかったらすぐに聞き返して、「ああ、この点をちゃんと説明しないと伝わらないな」と察してこっちも脇道にそれたり本題に戻ったりして説明をする。だから、自分が準備不足で相手と対峙してもなんとかなる冗長性があったんだよね。
ところが電子メール文化になってくると、私がいま書いているまさにこの文章、書き出しの「ケーキは」からこの位置くらいまでの長さにまとめないと読んでくれないし、読んでくれたとしても失礼でしょ。すると、私が若いころより、いまの若者には文章力が要求されるんだよね。では、私が学生のころよりいまの学生は作文の演習をしてるかというと減ることはあっても増えてはいないでしょ。ゆとり教育三角関数はやってなくてもいいし、英会話もいいから、日本語で文章を書けるようにしてから卒業させてよと思うこともしばしば。
作文といっても小説家になるにはそれなりの才能なり訓練が必要だと思うのだが、ビジネス文章というか、わかりやすい文章なんか5、6個のツボさえ押さえれば誰でも書けるんだよね。

  ・ひとつの文章を短くする。とくに複数の主語をひとつの文に入れない

  ・修飾する語と修飾される語を近くに持ってくる

  ・漢語表現や造語をさける

  ・漢字を使いすぎない。原則は名詞・動詞・形容詞以外はひらがな

  ・箇条書きやインデントなどビジュアルで構造化

このあたりさえ守れば誰でも名文家になれるんだから、ちゃんと国語の時間に教えてくれよ。そういう私も教わらなかったけどね。
電子メールが来て、1行目から読み下して最後まで行っても趣旨がわからないとイラッとして「てめえ、俺の時間を無駄に使うなよ。おまえと違って俺は残された時間が少ないんだよ。家に帰ってからはネタを考えてブログを書くというお仕事が待ってるんだよ」とブチ切れる。機嫌が悪いときは理解しようとする努力を放棄して「この文章、さっぱり意味がわからん」と返信する。機嫌がいいときはメールを添削して返す。これを繰り返すとだんだん私に来るメールの量が減って、なんとなく問題が解決しているような気がする。ああ、こういうことをするから嫌われるんだろうなあ