検証・これが実写版の台本だ!−act23(その1)

まだact8の検証さえ始めたばかりなんだけど、きょう届いたact23があんまり感動的だったので、とても自分一人の胸にしまっておけない。と言っても、火野レイ愛野美奈子がとっくみあいの喧嘩をするとかそういうことではない。
過去の台本の検証の中で、放送と台本が異なるパターンとしてふつう考えられるのは

  台本にはあるが放送ではカットした、または改変された

   例)act36で病院を出たレイを追いかけたアルテミスの告白*1

  台本にはないが放送で付け加えられた

   例)act35でチケット売り場でのうさぎとまことのやりとり*2

の二つだ。だが、もっともエキサイティングなのが台本どおりに放送はされているのだが、放送ではわからない登場人物の発言や行動の意図が判明するパターン。たとえばact42のPムーンの発言*3。この3つめのパターンがact23にもあったよ。正確にはレイのモノローグが一つだけカットされているのだが。レイが歌い出すと、ルナが妖魔の出現を告げる。だが、うさぎは身振り手振りで「レイちゃんは後から来て。一曲だけでも歌ってあげて」と告げる。

  駆け出していくうさぎ。見詰めるレイ。

  レイの独白「仲間を・・・・・信じる・・・・・」

この回のテーマである「仲間を信じる」とは、ライブをすることになったレイがうさぎに助けを求めることだと思ってたが、それだけではなかったのだ。いくら愛野美奈子のいたずらとは言え、自分の歌を聴くためにおおぜいの人が集まっている。その人たちの期待を裏切ってはいけない。妖魔の方はとりあえずうさぎ一人に任せる。自分が行くまでうさぎ一人でも持ちこたえられる。それはレイのうさぎに対する信頼以外のなにものでもない。むしろ、こっちのがact23のテーマとして重い信頼だったのだ。
放送では妖魔を倒したあと、「欠けていた何かが見つかったみたいね」というヴィーナスの言葉で、レイの回想が入る。その回想シーンが「わたしはうれしかったけどな。レイちゃんが助けてって・・・」なので、仲間を信じるとはうさぎに助けを求めることだと思ってたのだが、台本にはその回想シーンは無い。つまり、意図的にレイの独白をカットして、この1点に絞ったのが放送である。たしかに、レイの歌声にレイの独白をかぶせるのは変なのでカットしたのかもしれないが、ここの改変はなんだろう。
このシーンは実写版ならではと言えるのではないか。アニメではセーラームーン一人いれば妖魔は倒せる。いや、セーラームーンでなければ妖魔は倒せない*4。だから、無理して火野レイが行く必要などないのだ。ところが実写版ではセーラー戦士の戦力は拮抗している。さらに、これまで見てきた台本では小林靖子はセーラーマーズをセーラー戦士のリーダーとして放送以上に強く意識している節がある。よって、ここでうさぎを一人で行かせるのは放送で感じる印象以上にレイにとって重たい決断なわけだ。
「仲間を信じる」よく考えればわかったかもしれないのに、ここにはそんな意味があったなんて。深い、深いぞ、小林靖子
(つづく)