日本の中高生は本を読まないのか(後編)

昨日の続き。番組では本を読まないことによる弊害としてつぎの3つをあげていた。

    (1) ボキャブラリーが貧困。良いも悪いもヤバイとか

    (2) 「つまらないものですが」とか「おかまいもしませんで」などの慣用句がわからない

    (3) 他国の高校生に比べて読解力が劣る

(1)と(2)は読書の問題ではない。教育、それも家庭教育の問題だ。どう考えても読書の問題ではない。この程度の例しか挙げられないのだから、私がたびたび言っているように文学など読まなくても人生にまったく支障はない。だが、活字の本を読むのが苦手なら、せめてマンガはたくさん読んで欲しい。
問題は(3)だ。テレビ局は己の不勉強ぶりを平気でさらけ出している。読書が必要なのは中高生ではなくておまえらだ。これのもとになっているのはおそらくこれだ*1。日本の高校生は理数系の学力がだんだん下がって、とくに読解力が劣るという記事は新聞で読んだ方も多いのではないだろうか。それでも数学・科学は世界有数のバカである日本の高校生はまだまだ高い。それに比べて「読解」はかなり低いと言える。新聞にも活字離れが原因と書いてあった。だからもっと本を読めというのがこの番組の結論だが、高校生以上のバカはマスコミだ。
このテストにおける「読解」とは、日本の学校や入試で言うところの長文読解の読解ではない。日本の国語教育においては「波線の部分の主人公は気持ちはつぎのどれか」とか「ここで作者が言おうとしているのはなにか」とか、物語の登場人物や作者の立場になって考えることが要求される。主人公や作者にシンクロすることが「読解」だ。だが、PISAの「読解」は、日本ならむしろ「批評」や「評論」にあたる。よりよい結果を生むには主人公はどのような行動を取るべきだったか、とか、作者とは反対の立場でこの話のテーマを論じよとか、主人公や作者に同化するのではなく、神の立場に身を置いて大局的に状況を判断し批判をすることが求められる。これは日本の国語教育ではまったく取り扱ってない分野である。
この点数が低いのは高校生が悪いのではない。文部省の責任なのである。だから日本文学全集を熟読したとしてもPISAの「読解」力はつかないのだ。ではどうすれば「読解」力を向上させることができるか。実写版セーラームーンを見て、私と一緒に最終回の意味を考えたり、アニメとの比較を論じるのが近道である。