検証・これが実写版の台本だ!−act42(最終回)

結局のところ、かなり早い段階で前世の記憶を取り戻し、ベリルの呪縛から大部分を逃れていたクンツァイトにとって、ダークキングダムの四天王としての人生は死に場所を探す旅だったのだろう。マスターを惨殺するも良し、マスターの返り討ちに遭うのも良し。ネフライトをまねてベリルの支配から完全に脱したクンツァイトは、要するにマスターの忠臣だったクンツァイトだ。だが、ここで復讐を止めてしまっては自分の存在意義にかかわる。その程度の動機しかない。だからジェダイトの凶刃からマスターを守るのも、それもまた真。あるいは、自分以外の者の手によってマスターの命が絶たれるのは許せなかったのかもしれない。たとえ自分自身の命を投げ出すことになっても。
では、クンツァイトがここまでマスターを憎まなければならなかった前世とは。たとえば、こんなストーリーはどうだ。メタリアに操られベリルに先導されて地球人が月の王国に攻め入る。どうやって地球人が月の王国まで来られたのかはなんとでも説明が付く。セーラームーンはSFではなくファンタジーなのだから。おそらく地球と月を結ぶスターゲイトがあったのだろう。ここでマスターは四天王に対して月の王国を守ることを命じる。四天王にとっては地球の同胞に刃を向けることになり、いくらマスターの命令とは言え、とても聞けるものではない。背後にあるメタリアの陰謀を知らぬ四天王は、マスターがプリンセスの恋に狂ったとしか思えない。多勢に無勢、さらに同じ地球人相手に本来の力を出し切れない四天王はあえなく戦死。こんなとこだろうか。そしてact48において、クンツァイトはマスターがメタリアもろとも死ぬ覚悟であることを知る。この人は自分の命を投げ出す人だ。だが、それはプリンセスのためとか恋のためではない。前世のあのときもそこにはきっと「義」があったに違いない。クンツァイトはそう思ったのかもしれない。私の妄想だが。
さて、妄想に始まり妄想で終わったact42の検証は今日で終わる。最初の妄想であるプリンセス・セレニティ指揮官説は、こういう考え方も実写版の世界では成り立つという程度である。だが、あらためてact37を見ると、美奈子がPムーンが前世のプリンセスとは違う理由としてこう言っている。

     強すぎる

プリンセスが宮殿の中で暮らしているただのお姫様だったらこんな表現をするだろうか。これは「プリンセスは強かったがあれほどではない」という意味ではないだろうか。