検証・これが実写版の台本だ!−act46(その8)

初めて現物の台本を見たときに驚いたのがト書きの少なさだ。放送ではよくわからなかった登場人物の感情や、ある言動を起こすに至った動機などがわかればと思ったのだが、台本はほとんどセリフだけで構成されている。これでは監督の解釈のまちがいや役者の演技力不足で、いつでも名場面が迷場面になる危険をはらんでいるわけだ。
ところがact46に限ってはト書きが多い。前回に紹介した「泣き笑いのような声」や、今日の「美奈子を自然体で見つめるまこと」など、いままでの台本には無かったものだ。こういった記述は脚本家が制作陣に投げかける注文のようなものだ。ここはこうやって演技をしてくれ。このセリフはこういう感情を込めて話してくれと。そのくらい、act46は演じるのが難しい回なのだ。美奈子が現世の自分自身を大切に生きようと思う、まことが一人じゃない自分に気付く。ここに至る心境の変化は寄せ木細工のように組み立てられている。
美奈子はact40での火野レイの捨て身の説得で心が揺れ始めている。自分の信念に自信が持てなくなってきたからこそ、レイやアルテミスを追い出した。そんな美奈子の前に現われたのが、前世の使命のために命を捨てることなどなんとも思わない、現に自爆までやってのけた木野まことだ。そのまことに自然体で見つめられて「死んでもまた生まれ変わればいい」と言われる。そうさせたのは自分だ。美奈子にとってこれ以上の人生の皮肉はあるだろうか。一途なまことが哀れであり、そうさせてしまった自分に腹が立ち、まことには申し訳ない。そのまことの純情に答えられなくなっている自分が情けなく、今までの自分に愚かささえ感じてしまう。これでは泣くしかない、笑うしかない。レイが「前世のことなど気にしないで今の自分を大切にしなさい」と必死に説得しても頑なに心を閉ざした美奈子。そんな美奈子の心を動かしたのは美奈子以上に前世信奉者になって美奈子の合わせ鏡となった木野まことだ。
ところで、このシーンの台本だけ読むと別の役者の木野まことが見たい気がする。誰とはすぐに思いつかないのだがボーイッシュな美少女。
(つづく)