検証・これが実写版の台本だ!−act40(その13)

いよいよラストシーン。放送ではいろいろな動きがあるのだが、台本ではたったこれだけ。美奈子が自分の涙に驚くシーンはおそらく舞原監督が演出で追加したものだ。この台本は切ない。動きがほとんどないだけに美奈子の孤独が放送の何倍にもなって伝わってくる。
act5の水野亜美がいろいろな事がありながらも最後は屋上でひとり昼食を食べていたように、act8の火野レイがまことと大笑いしながらも最後は意地っ張りなレイに戻っていたように、小林靖子の脚本に安直な大団円はない。act40でもスパイ大作戦*1並みの大仕掛けで美奈子を騙しながらも、前世からの運命に殉じようとする美奈子の気持ちは変わってない。
そもそも何かをきっかけにその人の生き方や考え方が簡単に変わってしまったら、それまでのその人の人生があまりにも惨めではないか。いままでその生き方を選んでいた自分があまりにも悲しいではないか。だから今日の余韻と明日への希望を感じることができれば元の立ち位置に戻ってもいいのだ。何度も引用しているが「人はそんなに急には変われない」。そして他人ができるのはact5のうさぎやレイのように、act8のまことのように、act40のアルテミスのように、そばでそっと見守ることだけだ。できればぬいぐるみではなく人間に見守られたいがな。
台本のこの部分、白いぬいぐるみのまぬけな姿と小松彩夏の演技は忘れて*2、じっくり読むと静かな哀しみが漂ってくる名シーンである。「自分を抱えた美奈子」「動かない美奈子」など説明するだけヤボというものだ。結局、美奈子の心変わりはact46まで待たなければならない。だが、死に向かう「セーラーヴィーナス」と、仲間と笑い転げた「愛野美奈子」の狭間に立って動けなくなってしまった美奈子だから、レイからのメッセージはちゃんと伝わったのではないかな。セーラーヴィーナスでない愛野美奈子の人生だって十分に生きるに値するものだと。

*1:Mission Impossible」の原型であるテレビドラマ。映画はアクション超大作だが、原版は体力より頭脳が勝負のコンゲーム

*2:ヲイ!