原田雅彦引退

WBCのおかげで日本中が興味を失いかけていた野球に熱中する中、一人のアスリートが引退を発表した。原田雅彦。ノルディックジャンプは過酷な競技だ。天候にこれほど左右される競技も少ない。それも競技者全員が同じ条件で戦うのではなく、ジャンパー一人一人に天が別の舞台を用意する。だが「急に追い風になったから」とか「急に雪が激しくなって」という言い訳は許されない。それもこの競技に参加するアスリートに与えられた使命なのだ。それを承知の上でも、神は彼に数々の過酷な試練を与えた。そのたびに崩れそうな心を笑顔で隠して彼は飛び続けた。
私の札幌への転勤が決まったのが長野オリンピック閉会式の翌日。ラージヒルでの計測不能ジャンプや団体での大逆転劇の感動冷めやらぬ頃である。栄光と呼べるものなど無い私の人生だが、失敗は数知れぬほどある。なのでリレハンメル団体戦を飛び終わったとき、長野の団体戦の1本目を飛び終わったとき、原田がどれほどつらかったのか。その点において私には独特の親近感があるアスリートなのである。結局、その年の4月は引っ越しや引き継ぎで札幌と東京を何往復もしたが、最後の東京行きの飛行機の中で読んだのがこの本である。
原田雅彦長野オリンピックが終わったら栄光の内に引退することを考えていた。なにしろ30才で定年と言われるノルディックジャンプである。ところが奥さんの一言「あなたが大倉山を飛ぶ姿を見られないのは寂しい」で思い直す。

     長野でかっこよく有終の美を飾って引退しようなんて

     天才のやることで原田らしくない。

     俺は努力して、ボロボロになるまで飛び続けて、

     みんなに忘れ去られた頃、黙って去っていけばそれでいい

彼はこのときの決心のまま、それから8年間も飛び続ける。唯一、ちがうのは誰も原田のことを忘れないことだ。陳腐なセリフだとは思うが、勇気と夢をありがとう。