森進一に「何もない」と酷評された襟裳岬だが、私は行ったことがない。何もないからだ。今日はこの「何もない」お話し。「おれんちの回りは何もなくてさ」とか「わたしの田舎はな〜んにもないとこなのよ」という会話は日本全国で耳にする。だが、ここで言う「何もない」は
・興味のあるものがない
・自分にとって有益な場所がない
・暇がつぶせる場所がない
あたりだろう。何かはあるのだ。それが畑だったり民家だったり、少なくとも雑木林だったり。北海道の何もないところは
本当に何もない
のだ。本州の「何もない」を仮性とすれば、北海道の「何もない」は真性である。誰の土地かもわからず、過去に何かに利用された痕跡もなく、今後も何かに利用される気配がない。いや、人類が足を踏み入れたことさえないかもしれない。もちろん本州でも山岳部に行けばこのような場所はあるだろうが、北海道では住宅街のはずれにサッカー場くらいの何もない場所が、郊外に行けば東京ドーム数個分くらいの何もない土地がごろごろしている。このような場所を見てしまってからは、私は「何もない」という表現をうっかり使わなくなった。何もないと言ってしまったら、そこの所有者に、そこに生えている木に失礼であろう*1。
「広い」という言葉を強調するとしたら「すごく広い」「とてつもなく広い」あたりだろうが、私は北海道の広さをあえてこう形容したい。
無駄に広い
無意味に広い
そんな北海道なので県庁所在地、じゃなかった道庁所在地である札幌市の街中にも日比谷公園クラスの巨大な公園が点在している。どうせ冬には枯れてしまうので芝生は入り放題、花さえ踏まなければ寝っ転がろうがキャッチボールをしようが自由である。ただ、あまりの広さに、散策をするときはルート選定に注意が必要だ。