act16台本(その9)

いよいよクライマックス。といっても妖魔を倒すシーンではなく亜美とレイの会話である。何度も書いているとおり、実写版セーラームーンは物語のカタルシスを妖魔を倒すところに持ってきてない。その中ではact16は妖魔を倒さなければ大阪なるを救出できないので、めずらしく妖魔をやっつける必然性が高い回である。それでもこの物語のテーマは亜美の心である。そして今回の主題が亜美となるの確執だと思ってしまうと、このシーンでのレイとの会話の意味がわからない。実は亜美の悩みは大阪なるではない。うさぎを独占したい亜美の気持ち、そうせざるを得ない亜美の歪な対人関係である。なるは、それを顕在化させたきっかけでしかない。
初めての友達であり、唯一の友達であるうさぎに嫌われたくない。なのに「うさぎが思っているような亜美」に自分自身がなれない苦しさ。それをうさぎに知られたくない怖れ。無間地獄に陥った亜美をレイが救う。へたれこんだ亜美の手前に「カツッ!」とレイが立ちはだかる。見上げる亜美と見下ろすレイ。「亜美ちゃんは満点を狙いすぎ」と叱咤する。だが、最後はレイがしゃがんで亜美と同じ目線で慰める。教育的に実に正しい所作である。ところが台本の方はそれほどの迫力はない。そもそも

     膝に顔を埋めるマーキュリー

って体育座りかい。このシーンの二人の立ち位置、セリフごとの姿勢の替え方、カメラワーク、あっぱれである鈴村監督。
(つづく)