そうだ、はてなブログに移行しなければ

テレビをつけたらDAIGOが何曲か歌ってた。MCの東野だったかな、「DAIGOさんって歌うまいんですね」。ミュージシャンに失礼だろうと思ったが、東野の分類ではDAIGOは芸人なんだろう。言われたDAIGOの返しが「奥さんが『音楽番組に出るときはちゃんと歌ってくれ』って」と笑いを取っていた。出たよ、ポロっと奥さんネタ。ただの創作かもしれないが実際に言いそう、言われそう。そのときの光景が無理なく浮かんでくる。

 政治的発言って

年末に話題になっているのがこれだな。「芸能人の政治的発言」でググってみると

  「芸能人の政治的発言」を問う20代アンケート、「反対」が「賛成」を上回る

  ローラの“政治的発言”に非難轟々、「CMタレントは発言するな」というバッシングの異常性

  芸能人の政治発言 CM降ろすと言う企業は「2流以下」と茂木健一郎

  芸能人の政治的発言にフィフィが忠告「批判覚悟ですべき」

  タブーだったのはもう昔の話?増える芸能人の政治的発言

私はローラの発言より、賛成なり反対なりこっちの批評の方に違和感がある。以前に外務省の再三の忠告を無視して紛争地帯に行き、案の定とっつかまった記者に対して、「自己責任」の是非が話題になった。それに対して「あの行為は自己責任の文脈で論ずることではない」と記事にした*1。今回も同じで辺野古移設工事の中止を求める署名を呼び掛けることは政治的発言か? これを政治的発言と言ってしまったら、真面目に政治を考えて発言や行動をしている人に失礼ではないか? 国防について真剣に考えている人に失礼ではないだろうか? 政治的発言というのは

  ・日本の国土は日本人の手で守る。米軍基地はいらない

  ・沖縄は日本から独立する。だから日本の援助もいらないし、日本の負担も受けない。米軍も自衛隊も出て行け

  ・沖縄は中国の省の一つになる。日本とアメリカの施設はいらない

工事中止の先にこれらの意見があって初めて政治的な発言になると思う。「米軍基地は必要だが沖縄にはいらない」は「南青山に児童相談所はいらない」と同じで単に「地元の意見」であって「政治的」まで昇華できていない。もちろん町内会における政治、都道府県における政治というのはある。たとえば待機児童の問題は国の問題というより市町村の問題*2。教育の問題は国と市町村が一緒に考える問題*3。だが国の安全保障は国家が考える問題であり、地元への配慮は必要であるものの地方公共団体の利害を超えたところに政治的判断がある。そのくらい国家は国民に対して重い責任を持っているのが安全保障である。だってこればかりは個人ではどうにもならないでしょ。リバタリアニズムで国の行政をどんどん民営化していっても最後に残るのは国防。
だが、なぜ工事反対を「政治的発言」とまで言ってしまうのか? それは日頃から政治家(おもに野党)、自称評論家、マスコミがその程度の思慮しかしてないからだと思う。芸能人がテレビで「来年も良い年でありますように」と言ったら「テレビで宗教的発言をするな!」と噛みつくようなもの。芸能人がこれまでの経緯や背景を知らずに言ったことに対して「政治的発言」と断罪することによって、自分たちがいかに物を考えてないか、自分たちの思考の深さがローラと差が無いないことに自称知識人やマスコミは気がつかないのだろうか? 最後に言っておくが私はローラのファンではない。むしろ嫌いである。図々しいハーフタレント枠が減って*4泉里香の枠が増えて欲しいと願っている...

*1:http://d.hatena.ne.jp/M14/20181026

*2:http://d.hatena.ne.jp/M14/20171210

*3:あと、家庭な

*4:もちろん例外はいるよ